薄墨

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助けを求めるときは「誰か」と言ってはいけないらしい。

「誰か」と呼びかけてしまうと、人間の心理的にはみんな「誰か」が助けることを期待して、なかなか手を貸してくれない。
だから、緊急救命時には「誰か助けてください!」ではなく、「そこの人、〇〇をしてください!」とか、「あなた、救急車を呼んでください!」とか、いうのが正解、だそうだ。

誰か、という呼びかけは、不透明で、不確実で、とかく呼びかけられた気がしない。
人間にとって、そういうものらしい。

私は、今、困っている。
理由は単純だ。目の前にまさしくその「誰か」を体現したような人物が、助けを求めていたからだ。

それは確かにヒト型をしていた。
しかし、とにかく、輪郭も顔も表情も体型も曖昧模糊ではっきりしない。
地面に転がって、助けを求めてのたうってはいるが、なぜそのような状況になっているのか、何を助けたらいいのか、全くわからない。
とにかくはっきりしない、説明するのも難しいほど、ごぬごぬしたナニカ、だった。

そしてそいつは、あろうことか、自分がどう見えているかも理解していない様子で、「誰か!誰か助けて!」と喚いていた。
声は震えてはいたが、その声の特徴も、あるようなないような…
とにかく、何もはっきりしていなかった。

確かに、その「誰か」は苦しそうで、憐れみを誘ってはいたが、いたが…。

周りの人間は足早に、その「誰か」を一瞥し、残して去っていく。
しかし、私は立ち止まってしまった。

誰か、は、まだ地面に這いつくばりながら叫んでいる。
「誰か、誰か助けて!」と。

私は少し迷ったものの、結局放っておけなくて、手を差し伸べた。

結局のところ、私も同類だと思ったからだ。
人間に紛れて暮らす、人間ではなく、同じような存在を持たないナニカ、それが私だったから。

私は手を伸ばした。
その曖昧模糊な、正体不明の「誰か」に向かって。

秋風が鋭く吹き抜けていった。

10/3/2025, 10:57:47 PM