遠くから、清く澄んだ教会の鐘の音が響く。静かに、低く、しかし威厳を持って街を包むその音は、夜の闇に生きる者にとっては活動開始の合図のようなものだった。
この鐘が鳴ったら、金持ちの、昼間の街に生きる善良な人間は家に入って温かい夕食を囲む。その匂いだけを澱んだ肺に収めて、俺達は今晩の食料を求めて路地裏のゴミ捨て場を漁りに行く。昼間に漁ったりなんてしたら、そこらの野鼠より酷い罰を受けて捨てられる。俺達の人権なんてそんなもんなのだ。
腐ったような食事を集め、僅かなそれを分け合って腹に詰める。俺達はとにかく、生きるので精一杯だった。いい暮らしをしようなんて上を見る暇はない。今日の命を繋ぐのだってギリギリなのだ。表通りのショーウィンドウに並んだ菓子や玩具は夢のまた夢。この手に取るどころか、見ることさえ難しい。
そんな俺達にも、転機は訪れた。戦争が始まって、老いも若いも関係なく軍に取り立てられ始めたのだ。
元々路地裏で生活していた俺達は、少ない食料で動く術を知っている。俺の仲間や俺達はみるみるうちに武勲を挙げ、それなりの地位に就くことができた。この国の勝利も確実になってきて、俺達は軍で得た収入で思い思いの夢を叶えた。ある者は甘い菓子を部屋いっぱいに買い漁り、またある者は本棚に詰めても詰めきれないほどの本を買った。かく言う俺は、猫を飼い始めた。
もう、俺達が教会の鐘と共に動き出すことはない。日中路地裏で息を潜めて死んだように過ごすことも、餓死した仲間の肉を食むことも無い。
あの地獄で聞き続けていた響きは、今ではただの鐘の音になった。あの絶望も寒さも飢えも無い、幸せな暮らしだ。
しかし、その幸せは俺達をバラバラにした。元々利害関係で結び付いていたような俺達は、夢を手にした今、もう会う理由は無い。
それに微かな寂しさを覚えたような気がして、首を振る。遠くで鳴り響く鐘の音は、日の入りを如実に告げていた。
路地裏で、小さな影が幾つも駆けていく。俺は黙って食料の入った袋を物陰に置き、軍部に戻った。
街頭の光に照らされた路地裏で、子供たちのきゃらきゃらと笑う声がして、物陰に置いた袋はもう消えていた。
テーマ:失われた響き
11/30/2025, 7:57:57 AM