黒尾 福

Open App



 鏡の中の私が微笑んでいる。
 この鏡を見るたびに思い出せる。私はとても幸福な人間なのだと。
 怪しい商人が売ってくれた鏡はたしかに本物だった。それがあるだけで私はずっと笑顔でいられた。
 だからもう他の鏡は不要になった。全ての鏡を叩き割ると実に清々しい開放感が私の淀んだ内側に駆け抜けていくのを感じることができた。
 飛び込むようにベットに転がり込むと私は速やかに寝息を立てる。風呂にも入っていないし、夕食をとってもいないがもう深夜だ。社会人として規則の悪い食事は避けたい。
 しかしふと、先程置いた帰宅したばかりで片付けもされていないバックのことを思い出して身を起こす。明日の準備だけはしておかないと早朝の会議に間に合わない。
 私は体を引きずって鏡の横を素通りした。
 鏡の中で笑顔の私が、私をじっと見つめていることを、まだ私は知らない。


テーマ:鏡
タイトル:笑顔の絶えない生活

8/19/2023, 12:33:28 AM