シッピツジュンヒ

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このテーマが来た時に足りない頭を絞って考えてみた結論。
『有形の愛』なら出来るのかな?と思う。ただし、「何でも」とついたら不可能だと思う。

愛するものは私には沢山ある。
納豆、ラーメン、とろろ、音楽、落語、家族。
数え上げればキリがない。毎日見ても。毎日聞いても。毎日食べても受け入れられる。どんな体調でも自分の身に何が起きても受け入れられる。私の心には少なからず無償の愛はあるようだ。

私がAIじゃなくて人間だったという安堵は置いといて(何者だお前?)

じゃあ、愛する人や物はどうしたら手に入る?
与えてくれる人がいて、与えられる環境下で昔から今もいる人なら、手に入るだろう。しかし、そんな人はごく少数でしょう。

そうなると、手にいれるには、愛する人や物に投資する、買う、交換するという必要になる。やはり、お金、仕事、相談、契約といった「有形」にして、愛を手にいれるしかないのだと思う。

幸せなら態度でしめそうよ、という歌詞があるけど。
愛するなら形でしめそうよ、と私なら書き換えられる(笑)

ちなみに「何でも」はあり得ないといったのは、物や人は有限だからと思うからだ。地位や名誉を愛したいと思う人はお金だけでなく権力も必要だが、力を振りかざした時点で愛は強欲に変わるのではないだろうか。

「両手広げて手に入る」愛があれば、それでいいな。人生。

5/16/2024, 11:46:55 AM