「消えない焔」
某日。とある有名動画配信サイトにて。
「みなさん、ばんこな~『桃源坂こなみ』だよ~。今日もよろしくなのー……」
フード付きのダボついたパーカーを着込み、ピンクのゲーミングチェアにちょこんと収まり、ゲーミングPCに映る配信画面越しに全世界のリスナーに向かってゆらゆらと手を振る女性。
彼女の名前は――登録者数およそ百十数万人の大人気女性ゲーム実況配信者『桃源坂こなみ』。
彼女の配信は、いつも血圧の低そうなダウナーでか細い声とお決まりの挨拶から始まる。
そんな彼女の売りは――外見や振舞いのユルさとは正反対の、暴力的なまでのゲームセンスによる無双プレイ。
彼女はジャンルを問わず、あらゆるゲームを天賦の才で顔色一つ変えずに無双し攻略してしまうことで知られ、同業者からは恐れられてすらいる存在だった。
そんな彼女が珍しく眉をひそめ、元々眠そうな半目をさらに細くして悩んでいる相手は『最新話題の鬼畜ゲー』でも『嫌がらせ目的に作られたバカゲー』でもない。
――日本の古い伝統的ボードゲーム『将棋』だった。
「……こいつつよいし……。 このゲームややこしいかも」
一見、愚痴のようにも聞こえる一言だったが、どこか楽しそうな声色だった。
こなみは以前、2つの違うゲームを同時に実況プレイしながらコメント欄のリスナーと雑談するという、曲芸まがいの配信をなんなくやってのけた事がある。
こなみはエナドリのプルタブを開けると中身の半分を一気に喉に流し込み、その人外レベルの脳のリソースの全てを目の前の画面に映る一つの盤面に投入していた。
――戦形は『角代わり腰掛け銀、新型同形』。
お互いに自陣の空間を計算しつくされた駒の配列により全て埋めて角の打ち込みを消して、最善形を維持しながらパスに相当する手を連打し、相手の自爆を狙う作戦。
現在、最も将棋の終わりに近い場所にある戦法でもあり、ゲームとしての楽しさよりも機械的な解析作業に移りつつある、既に人の手には負えない形でもある。
そんな戦形を、桃源坂こなみはある一人のユーザーと、延々ネット将棋を通じて画面越しに指し続けていた。
総配信時間の半分のおよそ三時間はこのユーザーとの対戦で、現在の戦績は異例の25戦25引き分け、だった。
ルールから初めて僅か三時間でいつものようにネット対局場で無双プレイをかまし、あっさり七段に上がったその時、突然申し込んできたプレイヤーの名前は【Dakusii】。
将棋好きなリスナー達も知らない相手で、しかしこれまでの相手とは明らかに次元が違う強さだった。
AI最善手は当然。こなみの僅か点差-50の一手から風穴を空けてくる指し手。
一手10秒の早指しルールなのに、その内容はもはやプロの二日制のレベルを凌駕していた。
そうして指し続けていると、その相手【Dakusii】からチャットが来た。
『――Dakusii 今日はもう遅いので、勝手ながらまた日を改めて如何でしょうか?』
確かにもう時刻は日付も代わり午前一時を過ぎていた。
ゲーム配信者ならこれからという時間だが、相手が一般人ならとうに寝ている時間帯だろう。
渋々ながら、こなみも了承のチャットを送る。
『Tougenzaka_konami わかりました。本日は遅くまでありがとうございました。また是非教えてください』
『Dakusii こちらこそありがとうございました。とても勉強になりました。またお願いします。』
そのチャットを最後に、【Dakusii】は対局場から退出した。
「……だれだったんだろうね。 鬼つよだった……ね、みんな?」
コメント欄には『バケモンバトル』『もう将棋辞めます……』『恐ろしいものを見てしまった』など、称賛と畏怖が入り交じったコメントが高速で流れ、スパチャも飛びまくっていた。
そんな阿鼻叫喚のコメント欄を眺めながら、ふう、とこなみはため息を一つついて天井を仰ぐ。
――ゲーム配信を始めてから三年。
世界中に手を伸ばせば、きっと見付かると思った『わくわく』も、結局見付からないまま月日が過ぎてしまった。
子供の頃のように、みんなこなみを怖がって遊んでくれなくなってしまった。
でも今、初めて……ようやく、現れた。
やっと、見つけられたのだ。
思い切りの全力を預けられる、そんな相手が。こなみの前に現れたのだ。
「……次はぜっっったい負けない。 引き分けじゃ引き下がれない。」
こなみが、飲みかけのエナドリを一気に飲み干して、空になった缶を机に叩きつけた。
「 次は、ぜっっったい勝ち越してやるの……!」
こなみが、初めて感情を顕にし、笑みを浮かべた。
長らく退屈に錆びていた表情筋で作られた笑顔はコメント欄で『魔女の微笑』などと冷やかされてしまったが。
こなみの心に初めて焔が灯ったのを、視聴していたリスナー達も、こなみ自身も確かに感じ取っていた。
――同時刻、都内某所のマンションの一室。
「えーっと……『こちらこそありがとうございました。とても勉強になりました。またお願いします』……と」
旧式のPCを前に、事務椅子に座り、辿々しい手つきでキーボードを叩く、眼鏡を掛けた中年の男性がそこに居た。
「あっ。 来月の三日はいよいよ名人位のタイトル防衛戦の一日目か……早いなあ、年月の流れは」
彼は、独り言を呟きながら席を立ち、別室で現実の将棋盤で駒を並べ始めた。
……娘に教えてもらって、何とかパソコンを使えるようになったけど――苦労したかいがあったな。
あんなに強い人が居るなんて。これなら、退屈のしようが無さそうだ。
しかし、それにしても……。
一枚の駒を音もなく指先でつまみ上げ、盤上に向けて一閃。振り下ろす。
真っ直ぐに盤に指された指先がしならせ弾いた駒音は、まるで彼の心に呼応するかの如く高く澄み渡り、部屋に鳴り響いた。
「僕はまだ、入り口にも立って居なかったんだって……。 この年になって気が付かされるなんて……将棋はなんて面白くて、深くて、広い世界なんだろう」
齢、50と少しの男性が、少年のような瞳で盤上を見つめていた。
プロ入りから30年。未だ勝率八割の全タイトル独占経験者。
その長い、長い、孤独の戦いの中で凍えかけていた彼の心の中にも――また消えない焔が灯る音が確かに聞こえた。
10/27/2025, 2:00:19 PM