掌編連作『寄り道』第五話
※少し間が空きました。2025.10.10投稿『一輪のコスモス』の続きです。
ママさんと二人、失踪した僕の父親探しの物語。
【前回までのあらすじ】
父と親しかった孝雄からの情報で、父親の女らしき『メグミ』の影を追って港町のスナックを訪れた僕とママさん。ママさんはかつて決別した玲子と再会し、十年前に犯した“見逃し”の罪を告白する。二人は互いの過去を赦し合う。
◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇
玲子(れいこ)は、カウンターの向こうで煙草に細い煙を燻らせながら、ちらりと僕の方を見た。
「その子の話で来たんでしょ?」
「ええ。この子の父親ね――」
ママさんが続けてことのあらすじを説明する。父が失踪したこと、店の常連でツケが溜まってること、僕の母の病気のこと、僕の前では真面目な父親でいたこと、父にメグミという女の影があること……。
説明を聞きながら、改めて自分の置かれた状況を確認するようだった。父であるはずの茂(しげる)という人物がまるで見知らぬ人のような不思議な感覚がする。
「なるほどね」
玲子が状況を整理するように、虚空に吐き出した煙を見つめながら呟く。
「それで、あんたはどうしたいの?」ふと僕に向けて玲子の質問が飛んでくる。「父親に会えたとして、何をするわけ?」
――何を、したいのか……。
僕は想定していなかった質問に、すぐには声が出せなかった。昨日から世界があまりにも変わりすぎて、正直なところ今の自分が父に何を求めているのか――。
「分からなくなってきました……」
素直な気持ちを答える。
失踪した父の安否を知りたい。ただ、それが本当の理由ではない気がする。何故なら約一ヶ月、僕は父を探そうとも思わなかったから。
母が入院して、ようやく父の行方を探そうと思ったのは、お金の工面への心配と、自分一人で母を支えなければならないことへの自信のなさからなのかもしれない。
父を頼りたかった。でも、それすら揺らぎ始めている。不安とも怒りともつかない感情が、目の前の道に影を落としている。
――覚悟はあるのか。
孝雄(たかお)の部屋で言われた言葉が胸を刺す。
「覚悟って、どうやったら持てるんですか……」
僕は俯いたまま、誰に向けるでもなく尋ねていた。二人も、しばらく言葉を探すように黙り込む。
「あんたは何を守りたいんだい?」ママさんが沈黙を破るように告げる。「母親、父親、――それともあんた自身?」
僕が守りたいもの……。ほぼ形は見えているのに、明確に答えることができない。
「僕はただ……、あの時の三人に戻りたい」
◆◇◆
父がいなくなる少し前、僕らは家族三人で旅行に出かけた。山に囲まれた温泉旅館。父が取引先から宿泊券を譲り受けたとかで、不意に叶った三人での旅行だった。
「まだ優(まさる)が小さい頃は、三人でよく出かけたわよね」
父が運転する車の助手席で母が懐かしそうに言う。
思い起こせば、泊まりで旅行するのは中学一年のとき以来だった。僕は後部座席から父と母を見ながら、二人が笑顔で話しているのがとても嬉しかった。
「優、温泉行くか」
父に誘われて露天風呂に向かう。父と二人きりになることが少なかった僕は、少し緊張していた。
「学校はどうだ」「うん、楽しいよ」
湯船の中で、しばらくぎこちなく続いていた会話は、体が温まるにつれて、少しずつほぐれていった。
「たまには全てを忘れるのもいいもんだな――」
父がぼそりと呟いた。温泉の湯気に乗って出たようなふわりとした言葉。その時はあまり深く考えなかったが、今となっては別の意味に聞こえてくる。
◆◇◆
「あんたたちが探してるメグミかは分からないけど――」
玲子の言葉で我に返る。
「『ようこ』ってスナックで働いてた娘がいたね……」
「過去形なのが気になるけど」
ママさんがくすりと笑いながら言う。
「最近店を辞めたって聞いたけど。一ヶ月くらい前だったと思うわ」
――ちょうど父がいなくなった頃……。
カランカランとドアベルが鳴り、客が一人入ってくる。玲子が腕時計に目をやる。
「あら、もうこんな時間……」
「姉さん、ありがとう」
ママさんが立ち上がり、玲子に頭を下げる。つられるように僕も一緒に軽く頭を下げる。
「今度、店にも顔出すわ」
客のおしぼりを準備しながら、玲子が笑みを浮かべ、ママさんも笑顔で返す。
店を出る間際、背中に玲子の優しい声が響く。
「見つかるといいわね」
「ありがとうございます」
僕は玲子にさっきより深く頭を下げる。
外はすっかり日が落ちて、夜の街にはネオンが点々と灯っていた。
暗い道の前に少しずつ光が落ちていくような、探り探りの寄り道は、まだまだ長く続きそうである。
#光と影
#寄り道
10/31/2025, 7:23:08 PM