名前の無い音

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『休日』



 もう どれくらいになるんだろう

さっきから 鏡を見ながら なにやら格闘している
僕はスマホから顔を上げて 思わず声をかけた

「なぁ なにやってんの?」

テーブルの上には新聞紙
読んでいる様子は これっぽっちもない

「んー 前髪 切ってるけど 決まらない……」

後ろから 覗き込んで見ると
どうやら 前髪を切ってるらしい

「いやいや そんなに切ってたらさ
前髪 無くなるんじゃない?」

「えっ!」

振り返ったその顔は
今にも 泣きそうだった

「冗談だよ」
「うそっ 変? 切りすぎてる?……」

彼女は 寄り目になりながら
自分の前髪を引っ張って 一生懸命気にしている

「切りすぎてないよ 大丈夫だよ」
「……うそ」
「うそじゃないよ」
「……うそ」
「はいはい かわいい かわいい」

僕は そう言いながら 手を伸ばして
子どもに そうするみたいに
頭を ワシャワシャと 大袈裟に 撫でた

その手を 軽くあしらいながら
彼女は また 鏡に向かう

「ん~ やっぱり 切り過ぎた?」

どこにも行かない
どこにも行けない
休日の昼下がり

窓から入る日差しが 気持ちいい

柔らかな 光の入る レースのカーテンは
二人で選んだ カーテンだ

彼女が 僕の部屋に来るようになってから
この部屋には 色が生まれた

きっと 一人じゃ選ばなかった色
きっと 僕には見つけられなかった色

僕は 君と選ぶ色が好きだ

「あーあ どっか行きたかったなー」

そう 言いながら
また 前髪と格闘している


突然 彼女が振り向いた

 「ねぇ もしかして
前髪 切りすぎたから 嫌いになった?」

「バカ そんなんで 嫌いになるか」
「だって……」

僕は すっと近づいて
彼女を後ろから 優しく抱きしめた

「これでも 嫌われてるって?」

 
しばらく じーっとしていた彼女が
にんまり笑って 言った

「髪 切ってあげようか?」
「え…… 結構です 遠慮しておきます」


僕は もうしばらく
この手をほどかないでおこう

今ほどいたら トラ刈りになりそうだ ……

5/13/2022, 3:38:43 PM