かたいなか

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「『手』か!『目』とか『見る』とか、視覚系はバチクソ多かったが、『手』は珍しい気がする」
「見つめられると」、「君の目を見つめると」。「窓越しに見えるのは」に「目が覚めると」等々。
今回も「目」に関するお題だろうと踏んでいた某所在住物書きは、届いた題目に良い意味で驚いた。
「『手を取り合って』。物理的に誰かと誰かが互いの手を掴み合うとか、誰かと誰かが協力し合うとか。その辺がセオリーなんだろうな」
その「手」には乗らないと、将棋とかで、相手の策略を崩してコマを「取り合う」とかは、さすがに「手を取り合う」とは言わんのかな。
毎度恒例。物書きは今日も唸った。
「納得いく『手(ハナシ)』がサッパリ出てこねぇ」

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不思議な不思議な子狐と、寂しがり屋な捻くれ者が、手を取り合って素朴かつおいしいお餅を作り、一緒にもっちゃもっちゃ食べて楽しむ。
そんなネタを、思い浮かんだは良いものの、「食い物ネタの4連発は胃がもたれる」と考えた物書きです。
そこで今回はこんなおはなしをご用意しました。

最近最近の都内某所、某アパートの一室に、人間嫌いと寂しがり屋を併発した捻くれ者が住んでおりまして、最小限の家具と娯楽皆無な本棚しか無い部屋には、少し大き目な底面給水鉢がひとつありました。
「お前とも、長い付き合いだな」
鉢にはフウロソウに似た大きい葉っぱが生えており、ピンと上を向いた茎からは、ぽっこり、白いツボミが膨らんで、8月の開花を待っておりました。
「部屋の中でプランターに閉じ込められて。日差しという日差しも少ない。窮屈だろう」
つんつん、つん。特徴的で、独特な、マメ科の白いミヤコグサと言われれば2割程度似てそうな形のツボミを、捻くれ者が愛おしく突っつきます。

鉢の花は捻くれ者の故郷、雪国の田舎の花でした。
多くの人に恐れられ、多くの人を病院送りにしながら、漢方の材料として多くの人を救ってきました。
それの一族は人間の恐怖と興味と欲望と、誰かを救いたい救命の心を、一身に受けてきました。
その割に暑さにはバチクソ弱いのです。ぶっちゃけ過度な陽の光も好きくないのです。
夏に40℃を叩き出す東京なんて、とんでもない。捻くれ者の手を借りて、しっかり冷房効いた涼しい部屋で、命をつなぎ、株を増やしておったのでした。

「最近じゃあ、お前に愚痴を聞いてもらうことも少なくなった。不思議なものだ」
捻くれ者も、その花の助けを借りて東京の荒波を耐え、生き抜いてきたのでした。
花の持つ花言葉に甘えて、苦しいときは「人間など大嫌いだ」と、よく心の奥の奥底を、こっそり話しておったのでした。
「何故だろうな。……人間嫌いは昔から、お前とちっとも変わらないのに」

花と人とでふたりして、一緒に東京を生き抜いてきた13年。捻くれ者が花の手を、昔ほど必要としなくなったのは、だいたい3〜4年前から。
今の職場で初めて新人の教育係になり、初めて己の明確な「後輩」を持ってから。
「毎日グチグチ弱音を聞かされるよりは、今くらいの方がお前も気がラクだろう。良かったな」
つんつんつん。ため息をひとつ吐いて、捻くれ者は穏やかに、優しく、微笑を浮かべるのでした。

人と花が、手を取り合って生きるおはなしでした。
細かいことは気にしません。何個も閃いて書いて消して、一番無難でマシなのが、これくらいしか無かったのです。
しゃーない、しゃーない。

7/15/2023, 4:14:38 AM