針間碧

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『微熱』

 雪が降っている。今はまだ十一月というのに、珍しい事だ。これも地球温暖化の影響なのだろうか。寒いのも冷たいのも苦手なので、できれば雪は降ってほしくないのだが。僕は気象に文句を言いながら、高校までの道をゆっくり歩いた。
 天気予報で雪が降るとでも言っていたのだろうか。普段なら人通りも少なく閑散としているのに、今はそこかしこに人が行き交っている。一瞬家を出る時間を間違えたのかと思ったほどだった。腕時計の時間を見て、いつも通りの時間だと安心する。そのままいつも通り学校へ向かえばいい。周りは気にすることでもないだろう。そう思っていた時だった。
「すみません、少しいいですか」
 後ろから声をかけられ、振り返るとそこにはスーツ姿の女性がいた。所謂リクルートスーツというやつだろうか。この時期まで就活をしているとは大変だなと思いつつ、「何ですか」とぶっきらぼうに返した。
「道が分からなくて……」
「どこに行きたいんですか」
「〇〇というビルです。スマホのナビで確認しながら来たんですが、何故か思ったとおりにたどり着かなくて…八時には着きたいんですけど、間に合いますか…?」
 言われて女性のスマホを確認すると、位置情報がうまく取得できていないようで頓珍漢な場所を示していた。なるほどこれはいつになっても辿り着かない。果たしてこの人はその事実に気づいているのかいないのか。きっと後者だろうなと思いながら時間を再確認する。七時三十分。まだまだ時間は大丈夫だ。どうせ学校も早めに来た人たちで賑わっているんだろうし、逆にギリギリに着いたほうがいいかもしれないと思いなおし、目の前に立つ女性に提案をした。
「ここならそこまで遠くないですし、案内しますよ」
「え、でも学校は…」
「始業までまだ時間あるんで。送ってから向かっても十分間に合います」
「じゃあ、お願いします」
 少し迷ったようだが、素直に道案内を受け入れ、僕の少し後ろを着いてくる。そのまま、沈黙が続いた。
 沈黙を破ったのは、女性の方だった。
「このあたりは普段からこんなに人が多いんですか?」
「…いえ、そういうわけではないですけど。多分雪が降っているので、早めに動いているんじゃないですかね」
「あなたもそうなんですか?」
「いえ、僕は元々この時間に学校に行くので、いつも通りですね」
「…本当に学校は間に合うんです?」
 どうやら学校に間に合わないんじゃないかとまだ心配しているらしい。顔を見ると、びっくりするくらい眉が八の字になっている。このままではこの女性の顔が八の字になってしまうんじゃないかとこちらが心配するくらいだった。逆に心配になってしまった僕は、正直に答えることにした。
「誰もいない静かな教室が好きで、早めに行ってゆっくりしてるんですけど、今日は多分早めに来た人で賑わっていそうだから寧ろギリギリに着いたほうが助かるんです」
「そう、だったんですか。良かった……」
 女性の顔が八の字でなくなっていた。こちらも少し安心した。ふと、この女性と話している間は周りの喧騒がかき消えているように感じた。せっかくだしこのまま話をするかと、今度はこちらから話を振ることにした。
「今日は、就活とかですか?」
「ええまあ、そんな感じです」
「こんな時期まで就活なんて、大変ですね」
「はは…ですよね…」
「僕も数年後には経験しないといけないのか…」
「でも、あなたなら大丈夫じゃないですか」
「どうしてそう言い切れるんです?」
 何故かハッキリとしたその物言いに、少し驚きながら尋ねた。
「だって、初対面の私に親切だし、こうやって話しかけてくれる。時間配分も考えてる」
「時間配分…?」
「しょっちゅう腕時計見てるから」
「そう、ですか?」
 結構見られてたんだなと的外れなことを思いつつ、適当な返答しかできなかった。確かに時間を定期的に見る癖はあるが、それが良く見られたことなど一度もなかったのだ。
「自分でやっておいて言うのもなんですが、目の前で時計をしょっちゅう見られるの嫌じゃないですか?この時間が早く終わってくれって思われてるみたいで」
「人によってはそうかもしれないけど、私はそうは思わなかったですよ。それに、時計を見た後、歩行速度がちょっと速くなっていたので、多分良いタイミングの時間に着くように動いてくれてるんだろうなと思って、嬉しかったです」
 意外と観察力あるな、この人。そんな人がどうして今もまだ就活しているのか気になったが、実際時間が少しおしているのも確かなので、小さく「ありがとうございます」と言うに留めた。
「着きましたよ」
「ありがとうございます!良かった間に合った……」
 スーツの女性は、深々とお辞儀をした。
「就活、頑張ってくださいね」
「本当にありがとうございます…!あなたも学校、楽しんでくださいね」
「…そうします」
 そのまま女性は、笑顔でビルの中に入っていった。きっと彼女は内定をもらえるだろう。何故だかわからないが、そんな予感がした。
 時間は七時五十分。今からゆっくり歩けば、ちょうどいい時間に学校に着く。そのまま僕は、踵を返した。
 なんだろう、雪も降って寒いはずなのに、なぜだか今は少しあつい。

11/27/2023, 10:36:36 AM