初音くろ

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今日のテーマ
《花咲いて》





夏休みでも学校にはちらほら生徒の姿がある。
試験の点数や出席日数の不足を補うための補習授業だったり、受験対策のための夏期講習だったり、部活動のためだったり。
それでもやっぱり普段に比べると格段に人の数は少なく、校内はやけに静かだ。

僕はいつもと違うその静けさに落ち着かない気分を味わいながら、足早に廊下を進んでいく。
目的地は図書室。
夏休み前に借りた本を返しにきたのだ。
終業式の日に返却しようと思ってたのに部屋に置き忘れてしまったため、夏休み早々登校するためになったのである。

補習や講習や部活ならともかく、暑い最中、これだけのために制服を着て学校に来るというのは正直言えば億劫だった。
しらばっくれて登校日にでも返却しようかという悪い考えがチラリと頭の片隅を過ぎらなかったといえば嘘になる。
だけど学校から家に電話があったりしたら困るし……などと考えてしまい、結局小心者の僕はこうして返却しに来てるというわけだ。

幸い夏休み中でも図書室は開いていた。
これを『幸い』と分かったのは、毎日開いているわけではないとドア前の張り紙で知ったからだ。
昨日や明日来ていたら無駄足になるところだった。
図書室を開けるには当番の図書委員が在室していなければならないのだから、考えてみたら当然である。

本の返却手続きにかかったのはものの1分。
このためだけにわざわざ来たのかと思うとげんなりするが、おかげで残りの夏休みはすっきりした気分で過ごせるだろう。
そもそもは、終業式に本を忘れた自業自得である。

目的を果たせばもう学校に用はない。
家に帰ったらエアコンの効いた涼しい部屋で動画でも見て過ごそうか。
それとも午後からどこかに遊びに出かけようか。

ぼんやり考えながら駐輪場へ向かっていると、後ろからパタパタと走ってくる足音がして、ポンッと肩を叩かれた。
振り返って見ると、そこには去年同じクラスだった女子の姿。
微かに日焼けしている肌は健康的な印象だけど、彼女は運動部じゃなかったよな?

「休みなのに学校きてるなんて珍しいね。夏期講習? それとも忘れ物?」
「図書室の本、返しそびれてて、その返却。そっちは? 部活……じゃないよな?」
「美化委員の当番で花壇の水やり」
「え、そういうのって用務員さんの仕事じゃないの?」
「植木とかはそうだけど、花壇は美化委員の管轄なんだって。こんなことなら別の委員にしとけば良かった」

ミニタオルで汗を拭いながら彼女が苦笑する。
でも、口で言うほど嫌々とか渋々というような雰囲気ではないのは彼女自身が花好きなのもあるんだろう。
去年、たまたま下校時に一緒になった時、いくつかの花の名前を教えてくれたことを思い出す。

「暑い中、ご苦労さん。でも、この日差しじゃ水やってもすぐに乾いて枯れそうだな」
「そうならないよう日除けしてあげたり当番決めて水あげたりしてるんだ」
「そうなんだ」
「もし時間あるならちょっと見ていかない? 向こう側にわたしの背より大きい向日葵があるんだ。昨日咲いたばっかりですごく大きいの」
「へえ、それはちょっと興味あるな」

特に予定があるわけでもないし、僕は興味を引かれて頷いた。
いや、正直に白状するなら、向日葵自体には実はそれほど興味があるわけじゃない。
僕が本当に興味があるのは、その向日葵を思わせる笑顔を浮かべる彼女の方で。

ついさっきまで「なんで休みの日に学校になんか」って思ってたのに、今は「来て良かった」と思うんだから我ながら単純だと思う。
でも、クラスが離れて接点がすっかり減ってしまってた「ちょっといいな」と思ってた子とばったり遭遇して、偶然とはいえ2人きりで過ごせるとなれば、きっと誰だって手の平をくるっとさせるに違いない。

連れて行かれた花壇には僕と同じかそれ以上に育った向日葵がいくつもあって、その光景はなかなか壮観だ。
思わず「へえ」と声を漏らすと、彼女が得意げに頬を上気させ、キラキラの笑顔を見せてくれる。
その笑顔は、並んだ向日葵に負けないくらい輝いてて。
それが決定打になり、僕の心にあったぼんやりした好意という蕾は、鮮やかな恋の花を咲かせたのだった。





7/24/2023, 5:57:44 AM