8木ラ1

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頬が濡れる。
貴方のシルエットがぼやけて見えた。お気に入りと言っていたマフラーの青色。それは目の前に立っているのがあなたという証拠。

私はまだ貴方を感じていたい。そう思い、目の前の青に手を伸ばした。
何度も何度も空振って、それでも諦めずに彼女に触れようとする。

「ごめんね、こんな母でごめんね。まだ貴方の母親を全う出来てないから」

泣きじゃくっても、視界が歪んでいても、はっきり伝わるよう懸命に口を動かした。
目の前の青色、そして涙で歪んだ茶髪を頼りに、私は何度も言葉を繰り返す。

「戻ってきて。お願い。お願いだから。」

最後に振り絞った言葉だった。
その声はもうかすれていて、今にも消えそうなほど弱々しい。
すると、震えていた私の手が暖かいぬくもりに包まれる。瞬時に貴方の両手だと分かった。
私は手を握り返して、一生懸命彼女を感じようとする。

「今までありがとう。」
優しく切なく愛おしい声。貴方の声。
私が大好きな声。
「私のお母さんは、母親を全うしてたよ。」
貴方はゆっくりとそう言った。そんなわけがない。
そんなこと言わないで。
料理も失敗ばかりで、貴方を思い詰めるような言葉を言ってしまって、私はそれに気付かなくって。

震えながら首を横に振った。何度も振った。
手を強く握ったまま、貴方を見る。先程よりはっきりと見える貴方の姿。また目尻に涙を浮かべる私を見て、貴方は微笑んだ。

「娘の私がそう言うんだもん。当たり前だよ。」

その表情は毎日見てきた優しい笑顔でもあり、私が気付けなかった悲しみに溢れている表情。
今ではすぐに気付ける。今なら分かるのに。
もう一度、溢れそうな涙を堪えながら伝える。はっきりと貴方に伝わるように。
「本当に今までありがとう、こんな私でごめ…」
「別れにごめんはやだな。」
彼女が私の言葉を遮る。誰よりも強く、真剣な目をしていた。

彼女の目を見た私は心を決めた。まだ少し唇を震わせがらも、真剣な眼差しで頷く。そんな姿を見たら私だって負けてられない。もう二度と会えないけど。貴方を肉眼で見る事はできないだろうけど。

私はゆっくりと呼吸をして、口を開く。
「本当に今までありがとう。来世で、幸せにね。」
泣きそうながらも笑顔で言う私に、貴方は元気に頷いた。その瞬間、目の前全てが光に包まれる。

目を開けるとそこは、娘の私物が混ざったぐちゃぐちゃの部屋だった。そんな部屋を見渡しながら、息を吐く。
「…掃除するかぁ」

12/9/2024, 2:02:34 AM