鯖缶

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美智代は孫娘の陽奈と公園に遊びに来ていた。
(あぁ、いい天気。)
遊びにと言っても、美智代は日向のベンチに腰掛け、陽奈は同い年くらいの子とブランコをこいでいる。たぶん陽奈は母親、つまり美智代の娘に「おばあちゃんとお外に行ってあげて」とでも言われたのだろう。外に出て青空を見上げて初めて、寒くて長らく籠もりきりになっていたことに美智代は気がついた。
見るともなしに景色を見ていると、陽奈がこちらに向かって来ていた。一緒に遊んでいた子はいつの間にかいなくなっていた。
「陽奈ちゃん、何か飲む?」
「ううん、いい。」
それならもう家に帰るつもりだろうと美智代は両足に力を入れようとした。しかし陽奈はそのまま近づいてくると美智代の隣にぺたりと座る。
しばらく足をぶらぶらとさせていた陽奈だったが、美智代の方を見て目が合うと「おばあちゃん、ちいさいいのちってなに?」と少しすねたような顔で言った。
「ちいさいいのち?」
美智代の脳内で「小さい命」と変換される。
「あぁ、そうねぇ…よくお母さんのお腹に赤ちゃんができたときなんかは小さな命が宿った、なんていうけど…小さい命がどうかしたの? 何かあった?」
攻めるような口調にならないように、ゆっくりと優しく美智代はたずね返す。
「むしのいのちはちいさいの?」
そう問い返す陽奈の真っ直ぐな目から、美智代は目を反らしたくなった。小さな子供の質問は、世中に折り合いをつけてきた大人をたびたび答えに詰まらせる。
「虫の命は」
一寸の虫にも五分の魂、なんて言葉があるが、それは命の大きさについて言葉ではない。陽奈は純粋に
人間より虫の命は小さいのかと聞いているのだ。
「小さい。おばあちゃんにとってはね。」
「じゃあ、ひなはおばあちゃんよりちいさいから、いのちもおばあちゃんよりちいさいの?」
「ううん、大きいよ。」
美智代は陽奈をじっと見みつめながら、自分の中でたくさんの気持ちが集まって形になり、伝えたい言葉に変わっていくのを感じていた。
「おばあちゃんは陽奈ちゃんのこと大好きだから、陽奈ちゃんの命は、体の大きな象さんより、世界で一番偉い人より大きいのよ。」
「じゃあだいすきじゃなくなったちいさくなるってこと?」
しまった、そうなるかと美智代は穏やかな笑顔はそのままに心の中で頭を抱えた。子供との会話はなんて難しいのだろう。
「もし、もしよ、おばあちゃんは陽奈ちゃんのこと大好きだからね、もし大好きじゃなくなったとしてもおばあちゃんにとって陽奈ちゃんの命が大きいってことは変わらないと思う。」
陽奈は美智代を見たまま首を傾げる。
「命の大きさは、人それぞれ…人によって…おばあちゃんや陽奈ちゃんのお母さんや陽奈ちゃんのお友達や…みんながみんな違う命の大きさの価値観を持っていて」
「かちかんってなに?」
「えーっとね」
上手く言葉にできないのがもどかしい。
「例えばね」
自分と娘が崖にぶら下がっている光景が頭に浮かぶが、それを選ばせるのはまだ早い。そしてたぶん落ちるのは自分だ、と美智代は思う。
「陽奈ちゃんは何の動物が好き?」
「うさぎ!」
陽奈の顔がぱっと明るくなる。
「じゃあ、うさぎと…カメレオンが木の上にいるんだけど、落っこちそうなの。陽奈ちゃんが一匹だけ助けられるとしたら、どっちを助ける?」
言いながら、色々突っ込みどころがある質問になってしまったことを美智代は後悔したが、陽奈はそれを気にすることはなく「うさぎかなぁ」と答えた。先程のように断言しないところに、美智代は陽奈の優しさを感じた。
「そうしたら、それは陽奈ちゃんにとってはカメレオンよりもうさぎの命が大きいってことになるんじゃないかしら? でも、カメレオンを大好きな人はきっとカメレオンを助けるでしょうね。そうしたらその人にとってはうさぎよりもカメレオンの命が大きいってことになる。」
陽奈の眉間にしわがより「うーん」と言いながら前を向く。
その様子を見て、美智代はそっと息をついた。命は比べるものではない。でもそれはただの理想だ。
脳みそを働かせ過ぎたのか、久々に外に出たからか、ベンチに座っていただけなのに美智代はずいぶん疲れていた。よいしょ、と立ち上がる。
「でも、これはおばあちゃんがそう思っているだけだから、他にも色んな考え方があると思うよ。さて、そろそろ帰ろうか。お家に帰ったら、お母さんにも聞いてごらん。」
すると陽奈もぴょんとベンチから降り立ち「おかあさんにきいたら、そういうことはおばあちゃんのがじょうずにおしえてくれるよっていったの」とこちらを見て笑う。
美智代は陽奈と手をつなぎ家路を辿る。
難しい話を親に丸投げした、陽奈と同じくらい大きな命を持つ、今は母となった娘をどうやって叱ってやろうかと考えながら。

2/25/2023, 4:46:05 AM