『安心と不安』
片道およそ900km、車で夜通し走ってようやく朝に着くくらいの距離。その夜と朝くらいの距離が私たちの間にあった。
行こうと思えば行けないこともない、でもわざわざ会いに行かなくてもまたすぐに会える。そんな認識がお互いにあった。
「ねぇ、週末そっちに行こうかな……」
精一杯さり気なくそう言ってみた。
『ん? なんで?』
その一言でこの話題は終わった。
"何かあったの?"と心配されたわけじゃない。そこには単純に、"こっち来てどうすんの?"という感情が垣間見えていた。
「ううん、ただ何となく」
そう答えるしかなかった。
ただ電話を繋いでいるだけのこの時間。寝る前の日課として、ただこなして終わるだけのこの時間。
いつの間にか、今何をしているとも今日は何があったとも話さなくなった。電話の向こうにある生活音に、ただ耳を澄ませるだけ。
彼は一体今、何を考えているのだろうか。
『なんかもう眠い。そろそろ寝るわ』
「あ、うん……おやすみ」
通話時間は32分。最短記録更新だ。
そんなことを考えているのはきっと私だけなんだろう。
付き合って4年、遠距離恋愛を始めて2年に差し掛かろうとしている。
遠距離恋愛が難しいとは聞いていたものの、それは想像以上に困難だった。そのせいでほんやりと意識していた結婚の文字は遠退き、いわゆる倦怠期を味わうことになった。
会いに行くまでの距離に比例して、心の距離までも延びてしまったのだ。
「ねぇ、私のこと好き?」
そう聞くことが出来たらどれだけ良かっただろう。
そんな勇気もない私は、日々惰性の電話をかけ続けた。
彼に電話をかける私の右手は、最近よく小さく震える。
もし電話に出なかったらどうしよう。ついにもう終わりかもしれない。
いつ別れを切り出されてもおかしくないような重たい空気が、もう数カ月も私たちの間に居座っているのだ。言いようのない負の感情は、日に日に膨れ上がっていくばかりだった。
自分から別れを切り出すことさえ出来ない。
重ねた年月、過ごした時間、数え切れないほどの思い出。そのどれもが無かったことになるのが涙が出るほど怖いのだ。
呼び出し音が数回鳴ったあと、途切れた。
「……もしもし?」
好きという感情の輪郭がぼやけていく中で、私は彼の答えを待つ。
『うん、もしもし』
彼の声がしたその瞬間だけ、私の不安は晴れた。
今日はまだ大丈夫……
私は電話の向こうに聞こえないよう、深く息を吐いた。
1/25/2024, 5:55:24 PM