光合成

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『二人だけの秘密』

路地裏で倒れていた俺に、声をかけた女がいた。
今思えば血だらけで、どこの馬の骨かもわからない男によく近づいてきたなと思う。
女はまだ20歳になってそこらの、まだまだ青くて無鉄砲な、それでいて1人前の大人にでもなったかのような未熟さが残っていた。

俺はさし伸ばされた手を触れもせずに立ち上がる。
並ぶとずいぶん背の低い女で、身長差は20センチはあるように見える。
この街で女が一人でいるのは危ない。そんなことも知らない馬鹿が、どうしてここにいる。
もしかしたら、本当はこちら側の女なのではないかと思い見つめる。
俺の目を真っ直ぐ見つめ返すその瞳は、どこまでも澄んでいて、裏切りだとか、憎しみだとか、そんなものの何一つも知らないような純粋さがあった。
舌打ちをして歩くペースを速める。

女の目が嫌いだった。
あの真っ黒な目に見つめられると、今すぐにでも気狂いになって、叫んで走り出したくなる衝動に駆られた。
左脇腹の、古傷が疼いた。
関わりたくなかった。
このどん底みてぇな世界に、あの女を巻き込みたくなかったからだとか、そんな優しさじゃあない。
ただ、俺が俺でいるためだった。

大通りに出て、ふと後ろを振り返る。
女はいなかった。どこか安心している俺がいた。
そのあとはなぜか怒りが湧いた。
ざけんじゃねぇと叫んで、ゴミ箱を蹴散らす。
調子が狂う。こういう時ほど、ろくなことはない。

俺の直感が走れと言う。
来た道をもどって、臭いのする方へ走る。
嫌な予感のする方へ。
できれば当たって欲しくなかった。
それでも、俺の直感はあまりにも鋭かったらしい。

3人の男がさっきの女を押さえつけていた。
俺はそれが視界に入った途端、男を1人、また1人と蹴飛ばして、殴りつけた。
そこに論理的な思考はない。
女を救うためだとか、そんな正義的な感情もない。
かつて、この古傷が生まれた光景と重なっただけだ。愛した女を守りきれなかったあの瞬間と。
頭はクリアだった。体は止まらなかった。

女は周辺に転がり這いつくばる男にビビることなく、ただ真っ直ぐに俺を見つめた。
その瞳に感情はなかった。
俺は思わず目を逸らして、背を向ける。
女は俺の前に回って初めての笑顔を見せた。
その顔はあいつに似ていた。
俺が愛して、守れずに死んだあいつと。
女は黙ってスカートの裾をあげた。
その細く、血色のない太ももには、真っ直ぐな古傷があった。おれの古傷とそっくりなそれが。
女の目を見た。
初めて、正面からちゃんと目を合わせた。
静かで、どこまでも暗い深海のような瞳だった。

女は、俺と同じなのかもしれない。
俺の直感がまた言う。
俺と女の、二人の秘密が交わった瞬間だった。
この女となら、その深海の奥底まで沈んだって構わない。そう、思ってしまった。


2026.05.03
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5/3/2026, 10:39:25 AM