終わりなき旅の始まり
父は登山が趣味だ。
私もたまにその登山に付き合う。
父は普段運動しない娘のために、初心者でも登れる低めの山を選ぶ。
それから早起きして握ったおにぎりは山頂でもあったかく食べれるようにアルミホイルと新聞紙でくるみ、お水と一緒にリュックへ入れる。
親孝行のつもりで山に登るけど、どっちが孝行しているかわかったものじゃない。
私が父と山に登り出したきっかけは、私のひきこもりだった。
就活に失敗して、自分が社会不適合者だと気付いた21歳の夏。
辛い時、誰かと会うのがしんどい時、
しんどいといってるのに、父は無理やり私を山に連れて行った。
引きこもりの私は、坂道が苦しくて苦しくて、
息を荒くしては立ち止まり、息を整え、父の準備した水を飲む。
そんな私を父はいつも少し先で、立ち止まり、
私が歩き出すのを静かに笑って待っている。
わざとゆっくり歩く父に、私がようやく追いついたころ、
ふと、父が語りかける。
"山にくると、しんどいことが忘れられる"
"澄んだ空気を吸い込んで、もくもくと緑の中を歩いていると、気持ちよくて自然と嫌なことが小さなことに思えるから"
足元の悪い坂道をもくもくと歩きながらそんな言葉をかけられて、でも私は苦しくて、"うん"しか返事ができない。
その頃の私は、人も自分も怖くて信じられなくて、大切な人にさえ自分の苦しみを相談することができなかった。
そんな自分も嫌いだった。
でも、しんどいのは自分だけじゃなかったんだね。
あなたも、毎日強そうな顔して、いっぱい頑張ってたんだね。
もくもくと私の前を歩く背中は、私の悩みを何も話さずとも理解しているかのようで、その背中を追いかけながら私は泣いた。
泣きながら、坂道が苦しいのか、立ち止まり続けている自分の人生に向き合うのが苦しいのか、何もわからなくなった。
その後、父は私を前に歩かせるようになった。
"その方がしんどくないから"
たしかに、自分のペースで、目指す先を見つめながら進めると、少し呼吸が楽になった。
山頂に登って見渡す景色は、いつも特別。
あったかいおにぎりもカップヌードルも、何故か家で食べる何十倍もおいしいけれど、きっとその感動には苦しい坂道を自分が登り切ることが必要だった。
また別の日の登山では、彼は道を間違えて山道を外れてしまった。
"道に迷ったら、すぐ引き返すんやで"
そういいながら、父は何故か道のない笹だらけの坂道をかき分けて道を登っていく。
幸いその日の山はとっても小さな丘みたいな山で、笹まみれになりながら登っていたら山道についた。
なんでなん?って不機嫌につっこんであげたら、とっても嬉しそうだった。
私の人生の終わりなき旅は、そんな強くて繊細な父親の強引な船出によって始まった。
忙しない社会の喧騒の中で、未だに呼吸がうまくできない日もある。けど、そんな時は緑を見て深呼吸をしたら、不思議とまた前を向ける。
いつも、私の心の中には、あの緑の日々の中で感じた自分と人への信頼があるよ。
お父さん、ありがとう。
5/30/2024, 3:35:38 PM