「食用油とかツナ缶の油とか利用したオイルキャンドルは、平常時に練習しとく方が、良いと思う」
キャンドル。キャンドルと来たか。某所在住物書きは首筋をガリガリ、天井を見上げため息を吐いた。
「麻紐より普通の自作ロウソクセットの芯使った方が安定した、とかさ。火が大きくなっちまった時に、テンパって水で消そうとしちゃダメとかさ……」
当時は俺の前髪の一部がチリチリアフロになっただけで、済んだけどさ。物書きは再度ため息を吐く。
「……火がデカくなったキャンドルの消火は、天ぷら油の時みたいに、窒息消火、試してみようぜ」
――――――
最近最近の都内某所。某アパートの一室の、部屋の主を藤森といい、花咲き風吹く雪国の出身。
その藤森の部屋には、茶葉を利用するジャパニーズアロマポット、別名「焙じ茶製造器」、
つまり、「茶香炉」という物がありました。
香炉の上に茶葉をのせ、茶葉の下にティーキャンドルを入れ、熱して焙じて出る香りは、
煎茶とも、抹茶とも違う、甘い、穏やかな香りで、
藤森の部屋に在るのは、実は2代目。
初代は藤森の後輩に、「欲しい」と言われて去年、お嫁かお婿に出され、そろそろ1年。
初代は藤森に、何年も香りを届けておりました。
初代は藤森を、何年も見守り続けておりました。
――初代の茶香炉が藤森と出会ったのは、藤森が初めて東京に来た、13〜4年前の春。
茶香炉は春の屋外イベント、稲荷の茶葉屋の小さな露店で、香りをぷかぷか、吹いていました。
「茶香炉の良い香りがします。あそこの店だ」
その香りに釣られて、ふわふわ露店にやって来たのが、まさしく今の「藤森」でした。
地下鉄の乗り方も知らない、うぶでバンビな藤森は、たまたま近くに居た宇曽野という男に、自分のアパートの近くまで連れてってもらっている最中。
香りに釣られて、露店に来ました。
「『チャコーロ』?」
「お茶の露店なんて、私の故郷では見たことがない。本店はどこだろう?どの産地と品種かな」
「こら待て。待……ステイ!」
疑うことを知らない目だ。
東京の生き方、歩き方を知らぬ声だ。
ゆらり、ゆらり。茶香炉がキャンドルの火を揺らしていると、藤森に買われ、箱に入れられました。
――初代の茶香炉は、藤森の初恋も見届けました。
それは藤森が東京の時間と、人の動きと、その他田舎と都会の違いに揉まれて、擦られて、
まだ、東京の歩き方を習得できていなかった頃。
つまり心がすさんで、人間嫌いと人間不信を併発して、捻くれておった頃でした。
「あのね。誰にも頼ろうとしないから、壊れるまで独りで頑張っちゃうんだよ」
香りをぷかぷか、茶香炉が吹いておりますと、
ピンポンピンポン、「藤森」のアパートに、藤森の同僚が、まかないを届けに来ました。
「『たすけて』って、言ってみたら」
ぬるり、ぬるり。同僚は心魂の奥底に潜り込む毒のような声で、抑揚で、藤森に言いました。
「仕事に穴を開けてしまったことと、まかないを届けてくれたことには、礼を言うし謝罪もする」
静かに威嚇する狼のように、あるいは手負いの獣のように、藤森、同僚に言いました。
「私に、これ以上構うな。出ていってくれ」
ああ、あの同僚は、気を許してはいけないタイプの人間だな。ゆらり、ゆらり。
茶香炉はキャンドルの火を揺らし、分析しておりましたが、藤森に警告が届くことはありませんでした。
――初代の茶香炉は、藤森の失恋も見届けました。
それは藤森が上記同僚の「この人が欲しい!」という策略で、つまり所有欲の薬毒によって、
捻くれた人間嫌いが、だいぶ癒えてきた頃。
藤森が同僚を「自分の心魂を癒やしてくれた恩人」と、本気で思っていた頃。
「驚いた。まさか、日本茶が好きだったなんて」
香りをぷかぷか、茶香炉が吹いておりますと、
藤森が上記同僚を部屋に招いて、温かくて優しい味のお茶を、タパパトポポ。振る舞いました。
「意外か? 嫌い、だったか?」
人を少し信じられるようになってきた藤森にとって、同僚はいまや、初恋のひと。自分の人間嫌いと人間不信を治してくれた、大事なひと。
このひとのためなら、何を捧げてもいい。
本気で、思って「しまっていた」のでした。
「全然?逆に僕、緑茶、大好きだよ」
「加元」と名乗ったこの同僚のトゲに、茶香炉は気付いていました。加元は「好き」と言っておきながら、心の底では真逆のことを、考えておったのでした。
『ウソでしょ?解釈違いなんだけど』
ああ。これは、傷が深くなるな。ゆらりゆらり。
キャンドルの火を揺らしながら、当時の茶香炉、数ヶ月後の藤森の失恋を、人間嫌いと人間不信の再発を、この頃既に、見越しておったのでした。
――それから時が経過して、失恋から続くトラブルも解決して、心の傷もだいぶ癒えた藤森です。
茶香炉は藤森の部屋から離れましたが、相変わらず、ゆらり、ゆらり。キャンドルの火を、揺らしておったのでした。 おしまい、おしまい。
11/20/2024, 3:36:44 AM