真岡 入雲

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【お題:突然の君の訪問。 20240828】

「ゴメン。今日は駄目なんだ」

俺のその言葉に、君は一言も発することなく俯いた。
チラリと玄関の三和土にある女性物の靴を一瞥し、くるりと踵を返して静かに去っていく。
その後ろ姿が寂しそうで、走って行って抱きしめたくなる。
あぁ、なんてタイミングが悪いのだろうか。
もう少しで一緒に暮らせるかもしれないと思っていたのに。

「何?誰か来たの?」
「あー、いや。ちょっと音がしたから気になって。何でもなかったよ」
「ふーん。で、ビールは?」
「あ、忘れてた」
「何しに行ったのよ。早く持ってきて!」
「はいはい」

リビングのソファでふんぞり返ってテレビを見ているコイツは腐れ縁の幼馴染。
家が隣で母親達が親友とくれば、それはもう兄弟のように育てられるってもんで、両親が2人ずついるような感じだ。
昔はコイツと俺が結婚してくれたらいいなとか母さんは言っていたが、兄弟のように育ってしまった手前、こいつに対してそういう感情はこれっぽっちも湧かない。
例え全裸で迫られたとしても、俺の息子はピクリとも反応しないと自信を持って言えるほどだ。
結局俺は大学進学を機に実家を離れ、一人暮らしを始めた。
まぁ利便性を重視した結果、築50年の古いアパートで大学卒業後もそのまま暮らしてる。
母親にはもう少しいい所に引っ越せと言われてはいるが、場所の利便性は譲れない。
そうなると、賃料が今の倍近くになるためどうにも二の足を踏んでしまい、結果いまだ住み続けているという状況だ。
いい物件がないか常に探してはいるんだけど、なかなかどうして見つからないものだ。
で、コイツ。
コイツは大学も地元の大学に進み、地元で就職し、今でも実家に住んでいる。
今俺の家にいるのは、明日ナントカっていうアーティストのライブがあるとかで、俺が会社から帰るとリビングで1人酒盛りをしていた。
家の合鍵は一応何かあった時のために母さんに渡していたが、コイツはそれを使って入ったらしい。

「ほい、ビール」
「サンキュ」

ソファの上で胡座を組んで、渡されたビールを早速開け、ぐびぐびと飲む姿はまるで中年の親父そのもの。
色気の『い』の字すら見当たらない。

「なぁ、いつも言ってるけどホテルとかに泊まった方がいいんじゃないか?」
「何で?お金かかるじゃん。それにアンタんとこ便利なんだよね。駅近いし大抵の会場に行くのに乗り継ぎなしで行けるし。最高じゃん」
「そうですか。ならせめて事前に連絡してくれ。こっちにも都合が⋯」
「え、別にアンタが居てもいなくても構わないし、私」
「俺が構う」
「えっ、こんなボロ屋に彼女連れ込むの?やめた方がいいよ、絶対。隣に声筒抜けじゃん」
「⋯⋯⋯⋯はぁ、もう良い。俺明日も仕事なんだ。風呂入って寝るから」
「はーい」

こんなヤツ相手に、どこの誰が欲情できるんだろうか。
もしそんな奇特な人がいるなら見てみたいものだ。
⋯⋯うん、考えるのはやめよう。
明日に備えて早く寝ておかないと、大事なプレゼンでミスしてしまいそうだ。
脱いだ服は洗濯機に入れておく。
風呂から出たら、タオルも入れて回せば、明日の朝には乾燥まで終わってる。
夜に使うことが多いから、できるだけ動作音が静かなものを選んだ。
価格は結構したけど、買って大満足な家電の一つだ。

「ねぇ。なんか酒の肴になるものない?」
「⋯⋯冷蔵庫の隣の棚、下から3番目に缶詰がある」
「わかったー。⋯⋯ふぅん、結構いい体してるね。それに大きい」
「⋯⋯⋯⋯はっ?」
「ナニよ、ナニ!」
「なっ、とっとと閉めろ!」
「へーい」

風呂場のドアを確認もなく開けて、人のナニを⋯⋯、本当にアイツと結婚なんて死んでも無理だ!
結局夜中までアイツはテレビを見て笑ったり、テレビ相手に話しかけたりしていて煩く、俺はあまり眠れずに朝を迎えることになった。
そして、朝のリビングの惨状に愕然とする。
転がるビールの缶、開けて少ししか箸の付いていない缶詰が5個、脱いで床に投げ捨てられた服、ソファに大の字になって寝ている下着姿のアラサー女子。
ケツをかくな、ケツを!

「はぁぁぁ」

口から出るのは大きなため息だけ。
朝食の準備をしながら、半裸のアラサー女子に肌がけ布団を掛け、脱ぎ散らかされた服を拾い集め畳み、空き缶を拾い、食べかけの缶詰を流しに運ぶ。

「勿体ないなぁ」

いざと言う時の非常食として買っておいたものだったのに、見事に全種類開けられてしまった。
まぁ、各3缶ずつ買っておいたのだが、また買い足しておかないと。
あぁそうだ、ビールも買ってこないといけないな。
買い置き分は昨日全部飲まれてしまったから。

「はぁぁぁ」

コイツが来ると大体いつもこんな感じだ。
だから事前準備をしたいから、連絡してくれと言っているのに、毎度毎度突然やってくる。
母さんに鍵を返してもらおうか⋯⋯、いや、無駄だろうな。
鍵がなくても来るだろうし、そうなれば今の比じゃないくらいご近所さんに迷惑がかかりそうだ。
気持ちよさそうに鼾をかいて寝ているアラサーに一応書き置きをして家を出る。
朝の清々しい空気の中、今日のプレゼン上手く行きますようにと、空で輝くお天道様に祈りを捧げた。
でも、この時俺は間違っていた。
祈るべきはプレゼンではなく、部屋の無事を祈るべきだった。


「⋯⋯⋯⋯嘘だろ」

たった半日、部屋を留守にしただけで、何故こんなにも汚れているのか。
テーブルの上には飲みかけのジュースが入ったペットボトル。
もちろん蓋はされていない。
それとビールの空き缶に、食べ終わったコンビニの弁当、アイスのカップ、そして化粧品の山が所狭しと並んでいる。
テレビも電気も点けっぱなし、エアコンは22度設定で点けっぱなし。
ソファの上には脱いだ服と下着がそのまま放置され、湿ったバスタオルとフェイスタオルもソファの上に放り投げられている。
挙句の果てには風呂場からリビングまで、床が濡れている。

「勘弁してくれよ⋯⋯」

今日のプレゼンはいい出来だった。
上司にも褒められたし、顧客の反応も良かった。
ちょっとばかり良い気分だったから、奮発して牛ステーキ肉を買ってきた。
家に帰ったら、サッと焼いてアイツが帰ってくる前に食べてしまおうと思っていた。
嘆いていても始まらない。
取り敢えず床掃除をして、リビングも片付けて、服と下着は洗濯機に突っ込んで回す。
その間に、買ってきた肉を常温に戻し、付け合せの野菜を準備、ご飯も炊いておく。
スープも欲しいところだが時間を考え、インスタントにすることに決めた。
そして、肉を焼いてホイルに包んでしばし待っていた所に、突然の君の訪問。
俺は慌てて、玄関のドアを開けた。
君はいつものように俺を見上げると、じっと目を見てくる。
俺は壁際に寄って、中に入るよう君を促す。

「ちょっと待ってて、今準備するから」

君のために買った食器を戸棚から出し、同じく戸棚から缶詰を取り出す。
今日は少しお高いやつにしよう。
昨日、あげられなかったから。

「はい、どうぞ」

三和土で大人しく待っていた君は、目の前に出された器を見て一声鳴くと、無心に食べ始める。

「昨日はゴメンな。アイツ猫アレルギーでさ、すぐ目がぐじゅぐじゅになってくしゃみが出るんだ」

だから昨日は、こうやって餌をあげられなかった。

「美味いか?」
「うにゃっ」
「⋯⋯なぁ、俺と一緒に暮らさないか?ここペットOKなんだ」

それに、君がいればアイツはここに来れない。

「勿論、次の物件もペットOKの所を探してるから。どうかな?」
「にゃーん」

ご飯を食べて満足した君は、前足で顔の掃除を始めた。
俺が手を伸ばすと、擦り寄って甘えてくる。
ここ半年で警戒心はほぼ無くなって、こんな風に甘えてくれるようになった。
だからこそ、余計に一緒に暮らしたい、そう考えるようになった。

「な、一緒に暮らそうな」
「ぅなーん」

君にとっては今よりも窮屈な生活になるかもしれないけれど、安心して眠れる場所と、毎日の食事を約束しよう。
1年前の雨の酷かった日の夜、部屋の玄関の前で蹲っていた白猫。
ずぶ濡れで寒かったのだろう、ガタガタと震えていて放ってはおけなかった。
タオルで拭いて暖めてやり、ネットで調べてご飯を作って与えた。
数日一緒に暮らして、元気を取り戻した君は、朝、俺が出勤のためドアを開けたら隙間からスルリと外に出ていってしまった。
しばらくして夜にドアを引っ掻く音がして、そっとドアを開けると君がいた。
それから君は、家に来るようになった。
けれど、君はいつも三和土から先には進まない。
だから俺は、君が三和土から先に入るのは、俺と一緒に暮らす事を受け入れてくれた時なんだと思うようになった。

「ん?行くのか?」
「にゃーん」
「そっか。気を付けてな」

玄関のドアを開けて、君を送りだす。
この辺りは交通の便が良いだけあって、車の数も人の通りも多いし、人間の中にはアイツみたいに傍若無人な奴もいる。
決して安全とは言えない環境だから、俺は心配なんだけど。
暗い街に溶けこんでいく君の後ろ姿を見送って、俺は料理を再開する。
若干時間を置きすぎたが、肉は良い感じに馴染んで食欲を誘ういい香りが部屋に充満している。
付け合せの野菜を焼いて肉を乗せた皿に添え、炊きたての米をよそって、インスタントのスープにお湯を注ぐ。
リビングのテーブルに並べ、ワインのボトルを手に取る。
やはり肉には赤ワインだろう。
先々週の同僚の結婚式の引出物として渡されたワインは、新郎新婦の写真がラベルとして貼られたもので、中身はそこそこ良い物だった。

「いただき⋯⋯⋯⋯誰だ?」

絶妙なタイミングでかかってきた電話。
スマホの画面を見るとそこには会社の後輩の名前が表示されている。

「もしもし?」
「あ、先輩、こんな時間にスミマセン」
「いや、構わないが、どうした?」
「実は⋯⋯」

どうやら客先からの問い合わせで、明日の朝イチまでに回答資料が必要との事で残業していたらしい。
だが、分からない部分があってどうしようもなくなり、電話してきたと言う事だ。

「あー、言葉での説明は難しいな。じゃぁ今からリモート繋げるから少し待て」
「あ、ありがとうございます!」

俺は寝室に入ってパソコンを立ち上げる。
例の感染症のおかげで、家からリモートできるようになった利点がこういう時だな、とか考えつつ、俺はヘッドセットを着けパソコンの前に座る。
それから何だかんだで30分ほどかかって、後輩の資料はどうにか完成の目処が着いた。

「ふぅ、終わった。さて、やっと肉が食べれるぞ!」

ヘッドセットを外し、パソコンをシャットダウンしてリビングに足を踏み入れる直前、はたと気づく。
聞こえてくるテレビの音と、昨夜嫌という程聞いた笑い声。

「ま、さか⋯⋯」

案の定、テーブルの上に並べていたステーキもスープもご飯も既に無く、アイツの手にはワインがなみなみと注がれたグラスが握られている。
そして足元には、空になったワインボトルが転がっている。

「あ、肉美味かった。もっとない?」
「⋯⋯⋯⋯ない」

一気に脱力して何もする気が無くなった。

「お前、明日帰るんだよな?」
「さぁね、どうしようかなぁ」
「頼む、帰ってくれ」
「何それ。まぁいいや。ね、ビールない?なかったらワインでもいいよ?」
「ワインはない。ビールは冷えてないかもしれないが冷蔵庫にある。自分で取れ。俺は風呂入って寝る」
「ほいほーい」

あぁ、早く君と一緒に暮らしたい。
そうすれば君は安全な寝床と食事を手にして、俺は君という癒しを手にして、この傍若無人な人間を俺のテリトリーから弾き出すことができる、一石三鳥だ。

あぁ、神様、どうか哀れな俺を救って下さい。


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(´-ι_-`) 自由な人が羨ましく思う時がアリマス。



8/29/2024, 3:14:41 AM