誰が私を救うんだろう。
そんなことを、ずっと考えている。
これは期待であり、怠慢でもある。
私は、自分で自分を救いたくない。
きっと他者に委ねずに、己で己を救済することが最も確かな道であるのだろう。
わかっている。
それでも私は、誰かに救われたい。
それは、救われたという目的の達成よりも、誰かが心をかけて、私を想って、私を愛してくれたという事実の方が、よっぽど大切だからかもしれない。
救という字は、求に手を表す攵からできている。
その手は同じ体温であって欲しくない。
惹かれるような熱さでも、冴えるような冷たさでもいいから、どうか。私の手を握って。
あなたが差し伸べる必要はない。
伸ばし続けた私の手を取るだけでいいの。
10/26/2025, 7:22:26 PM