明永 弓月

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 会う。くちづける。肌を重ねる。それらを身勝手にやってきた自覚がある。相手のことなど何も考えずに己の欲に従った。
 相手を変えて何度か繰り返したが、並行していたわけではない。割り切った遊び相手でもなかった。特定の相手は所謂交際関係にある相手で、その人とだけ行っていた。

 今、交際相手はいない。
 今にして思えば自分本位だった。だからこそ恋だと言われるかもしれない。ただ、自分としては本当は誰でも良かった可能性を感じている。そう言えるのも今だからだというのは分かっている。
 自分が思っているほどまともではないことは、ここまで生きていれば気付ける。
 結局のところ、誰でも良いなら遊んでいるのと変わらない。今はそういった欲が生まれていないだけではないのか。
 理性を失うような情熱も、浮き立つ心も持たない。心焦がすような思いも抱かない。恋情などどこにあるのだろうか。

 恋をして、愛が生まれて、家族になる。周囲にそんな人が増えてきたからこそ、自分のまともでない部分がよく見えるようになった。過去を見つめられるようになった。

 恋の話は、いつまでもはぐらかすしかないらしい。

9/12/2024, 12:52:01 PM