日夜子

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「……初めまして――」
 固い声で名乗ったあと、彼はギクシャクと頭を下げた。
「……いらっしゃい」
 歓迎しているとはとても思われないトーンになってしまった。それはそうだろう。高校生の娘が初めて彼氏なんぞを家に連れてきたのだから。
「どうぞ上がって!」
 妻は俺とは対照的に弾んだ声だ。その声に励まされるように、緊張気味だった娘がさらに緊張している彼の背中を押した。

 食卓の椅子に向かい合って座り、「雨の中ありがとうね」「いえ、」などと妻と彼は当たり障りのない会話をしている。
「娘から君は明るい茶髪でピアスを着けていると聞いていたけど」
「はい、普段はそうですけど」
「親に気に入られたいと思ったの?」
「ちょっとお父さん!」
「はい、そうですね」
 彼が素直に頷いたので、それ以上嫌味なことは言えなくなってしまった。
「ふ、二人はどうやって出会ったの?」
 とりなすように妻が言う。それは俺も気になっていたことだ。妻もまだ知らされていなかったらしい。親に言えないなんて、高校も違うし合コンとかナンパとかどうせそんなところだろう。娘は少し迷ったように視線を彷徨わせる。みんなの顔を一巡してから口を開いた。
 
「雨の日にね。助けてもらったの」
「助けてもらった?」
「うん、私傘もなくて転んじゃって泥だらけで。お店の軒下で休んでたの。通りかかる人は『あの子悲惨〜!』って目で見て通り過ぎるだけ。涙出てきちゃって」
「ああ、制服が汚れた日ね!」
 妻が相槌を打った。そういえばそんなことあったなと俺も思い出す。
「そしたらね、一度通り過ぎた彼がコンビニで傘とタオルを買って戻ってきてくれたの」
「いや、その、近くにコンビニがあったんで」
「それで私お礼がしたくて、それから毎日同じところで待ち伏せしてたんだよ。恥ずかしくてお母さんたちに言えなかったんだけど」
 娘は彼の方を向き、はにかんだように笑った。彼のことが大好きだというような笑顔。微笑み返す彼の目も同じように柔らかく細められていた。
 
 心温まるいい話だ。
 だけど、これはあまりにも。
「ふ、くくっ……」
 笑ってはいけないのに笑いが零れてしまう。
「ふふっ、ふふふっ」
 妻も同じように堪えきれないようで、口を覆った手の隙間から笑い声が漏れていた。
「ちょっと! 何なのお父さんもお母さんも感じ悪い! 私たちはちゃんと真面目に……!」
「ごめん、ごめん、本当に悪気はないんだよ」
「そうなのよ。あのね、あなた達の出会いが私たちとあまりにもそっくりで、可笑しくなっちゃったの」
「えぇ!? そうなの!? 知らなかった……」
 妻が恥ずかしいから娘には内緒、と言って話したことはなかった。娘と妻はよく似ているらしい。

「ごめんなさい、お茶もお出ししなくて」
 妻がキッチンへ向かう。
「時間大丈夫だったらゆっくりしていって。この雨の中、帰るのは大変だからね」
 そう言った俺の声色はいつものものになっていた。娘と彼はホッとしたように目を合わせて笑った。……まぁ可愛い娘なんだ。チクリと胸が痛むのはまだ暫くは続くだろう。

 窓の外では雨が降り続いている。俺は耳に手をやり、ほとんど塞がりかけたいくつかのピアスホールを撫でた。



 #17 『雨に佇む』 2024/8/28
 

8/28/2024, 12:29:12 AM