かたいなか

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この物書きの「忘れない」といえば、2〜3年ほど前のクリスマスちょっと前なのです。
クリスマスイブ・イブくらいの頃に足腰を、捻挫だか肉離れだか、ともかく起こしまして、
そのせいで立てず、歩けず、激痛が酷く、正月の3日間もベッドの上。
まさかの被災時用備蓄食が療養食となりました。
忘れない数年前の珍事件です。

と、いう早々のお題回収はさておいて、
今回もおはなしのはじまり、はじまり。

最近最近のおはなしです。都内某所の某稲荷神社には、本物の稲荷狐の家族が住んでおりまして、
そのうち末っ子の子狐は、稲荷狐の見習いとして、稲荷神社の神様から名前を授かったばかり。
まだまだ良き化け狐、偉大な御狐として、絶賛修行中の子狐だったのでした。

ところでそのコンコン子狐、先月末から今月最初にかけて、初めて東京の外に出て旅行を堪能。
雪国の夏を知り、地方の片田舎の夏祭りを知り、
そして、その片田舎でのみ消費されている和牛、「葉月牛」の牛串の、脂と肉とを知りました。

1本500円でした。
炭火でじっくり火を通した、素晴らしい肉でした。
露店の店主は子狐のために、塩を振りすぎず、少し冷まして、串から肉を取って、
さぁどうぞと、紙皿で提供してくれました。

あのときの脂の甘さ、肉の柔らかさ、そしてなにより子狐の鼻をくすぐる幸福な香りといったら!

『おいしい、おいしい、おいしい!』
尻尾を扇風機ばりにぶんぶん振り倒し、むしゃむしゃ、ちゃむちゃむ!
子狐は和牛串を、心ゆくまで堪能しました。
『わぎゅー、わぎゅー!おいしい!おぼえた!』
子狐は和牛串を、きっと、忘れないのでした。

で、あんまり和牛に恋してしまったせいで
最近の子狐の夢はだいたい食べ物三昧でして。

…――『おきつねさま。本日の和牛串です』
その日のお昼寝の夢の中でも、子狐は和牛串をちゃむちゃむ!食べておりました。
『特別に、とても大きな和牛串を作らせました。
どうぞ、存分にご堪能ください』
子狐に和牛串を献上するのは、子狐によくジャーキーをくれる某管理局のお姉さん。
高級座布団の上でくつろぐ子狐に、うやうやしく、大きなステーキサイズの牛串を差し出します。

『おきつねさま、その前に私が作らせた和牛串を』
子狐の夢の中に、もうひとり、登場人物が現れます。よくコーヒーを飲んでるお兄さんです。
『炭火でじっくり焼き上げました。さぁ』

『いや待て、俺様の牛串が先だ!』
『いいや、子狐は私の故郷の牛串をご所望だ』
『分かってないな。俺のに決まってる』
子狐の夢の中は、一気に高級お肉でいっぱい!
登場人物も一気に増えます。

『これ。ケンカは、やめるのです』
そして夢の中の子狐は、尻尾をぶんぶん振りつつ、澄ました態度と声で言うのでした。
『キツネはいま、はづきぎゅー、葉月牛のぎゅーくしを、もとめています。
まず、葉月牛のぎゅーくしをもってきたモノは、このキツネのまえに、すすみ出るのです』

『では子狐、まず私のを』
子狐の夢の中の、登場人物その4だか5あたりが、静かに前に進み出て、子狐の前に座ります。
『さぁ、どうぞ』
子狐の目の前で、大きな大きな牛串が、静かに美しくナイフで切られて、ひとくちサイズが数百個。

『うむ。くるしゅない』
夢の中の子狐の興奮は最高潮!
おくちをパックリ開けて、登場人物その4だか5がその中に、肉汁したたるサイコロ和牛を――……

…――「んあー……あむっ! あれ?」
もうちょっとで、肉汁したたるサイコロ和牛を、食べるというその瞬間で、
稲荷子狐はコンコン、お昼寝の夢から覚めました。
「わぎゅー、 わぎゅー、どこいった?」

周囲を見渡して、自分の下もよく見て、
こっくり、こっくり。子狐は小首を傾けます。
自分がくつろいでいたハズのふっかふか高級座布団が、どこにもありません。
自分が食べようとしていたハズのジューシー和牛のお肉が、どこにもありません。
「あれ? あれ?」
夢だったのです。 全部最初から無かったのです。
「わぎゅー」
でも子狐、完全に舌が和牛の受け入れ態勢。
モヤモヤしまくっています。

「キツネ、わぎゅー、たべる!」
仕方がないので稲荷子狐、お肉をくれそうな人間のアパートへ緊急走行。
アパートの住人にはとばっちり極まりない限りですが、知ったこっちゃありません。

そのまま子狐はロックもセキュリティも気にせず、人間の部屋に押し入ろうとしましたが、
子狐のお母さんに見つかって、捕獲されて、
結果、その日のごはんは鶏肉たっぷりの水炊きになったとさ。 しゃーない、しゃーない。

8/21/2025, 6:00:16 AM