sairo

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ひらり、とスカートの裾を翻して、少女は少年の元へと駆けていく。

「ごめん。待った?」
「別に」

素っ気ない態度の少年に、少女の表情が僅かに曇る。しかしすぐに笑顔を浮かべると、少年の隣に歩み寄った。

「今日はどこに行くの?話があるって言ってたし、ゆっくり出来る所へ行こうか」
「ここでいい」

淡々とした声音で一言言うと。少年はようやく少女に視線を向ける。冷たささえ感じる静かな目に見据えられて、少女は込み上げる不安を押し殺すようにスカートの裾を握った。

「あのさ。もう、止めにしないか」
「――え?」
「あいつはもういない…ようやく、受け入れられそうなんだ。だからもう、あいつの代わりになる必要はないよ」

静かで、凪いだ声だった。
少年の言葉を心の内で繰り返し、少し遅れてその意味を理解する。理解して、ひゅっと喉が嫌な音を立てた。
握り締めたスカート裾に皺が寄る。俯き、強く目を閉じて。そうして感情を抑え込んでから、少女は顔を上げると、少年に向けて優しい微笑みを浮かべてみせた。

「そっか。もう、大丈夫になったんだね。よかった」
「ああ、だから」
「三年、か。長いようで短かったのかな。でも一緒にいられて楽しかったよ。今まで、ありがとうね」
「…っ」

声が震えないように気を張りながら、少女は穏やかに告げる。それは感謝の言葉でありながら、別れの言葉によく似ていた。
何かを言いたげに口を開き、けれど何も言えずに少年は視線を逸らし唇を噛みしめる。言葉を探して彷徨う目が、静かに離れていく少女の姿を捉え、反射的にその腕を掴んだ。
少女の目が瞬く。掴まれた腕と少年の顔を交互に見て、少しばかり困ったように笑った。

「どうしたの?忘れもの?」
「あ、いや。そうじゃなくて」
「あぁ、そうだね。忘れてた」

淡い微笑みを浮かべたまま、少女は腕を掴む手に触れる。手の甲から指先へ向かい優しく撫でると、少年の手は次第に力を失って、ゆっくりと離れていく。
それをどこか名残惜しげに見つめ。そして少年に視線を向けると、少女は真白いスカートの裾を軽く持ち上げて、可憐にお辞儀をしてみせた。
少年があいつと呼ぶ、三年前に亡くなった彼の幼なじみがよくしていた仕草を最後に真似て、少女は微笑う。

「――じゃあね。ばいばい」
「っ、待って」

ひらり、とスカートを翻して、少女は駆けていく。急に吹いた風が引き止めようとする少年の声を掻き消して、巻き上がる砂が、少女の後ろ姿すらも消してしまう。
あとには、少年がただ一人。

「本当の君は、誰だったの?」

最後まで言えなかった言葉を噛みしめて、俯いた。





木々の合間をすり抜けて、只管に駆け抜けていく。
ひらり、と広がるスカートの裾が木の枝に掛かり裂かれても、少女は構わず走り続ける。
裂かれたスカートの切れ端が、風に舞う。それは風に遊ばれている内に千切れた花弁となって、褪せた大地を僅かに白へと染めていく。

森の奥。一本の美しい梅の木の根元で、少女はようやく足を止めた。

「ふっ、く、うぅ」

堪えきれなくなった涙が溢れる。少年の隣にいる理由がなくなって、寂しさに悲鳴を上げる胸に手を当てて蹲る。
最初から分かっていた事だ。少女は必死に己に言い聞かせる。
限られた期間の中での逢瀬だった。少年が幼なじみの死を受け入れて、一人で再び歩き出せるまでの刹那の時間。
始めから別れを覚悟して、少年の側にいたはずだった。少しでも少年の支えになれるように。幼なじみの死を受け入れられず、虚ろな日々を過ごす少年がまた笑ってくれるように。
しかし三年という月日は、ほんの少しだけ少女に欲を持たせてしまったらしい。

――もう少しだけ。もしかしたらずっとこのまま一緒に。

そんな淡い期待の欠片を抱いた矢先の事だった。少年に夢の終わりを突きつけられたのは。

「かえ、らなきゃ。夢は、終わった、んだもの」

止まらない涙を乱暴に拭う。顔を上げ、震える足に力を入れて立ち上がる。

「だい、じょうぶ。二度と、会えなくなる、わけじゃない。きっと、もうすぐ。会いに来て、くれる」

その時は、今の少女ではないけれど。
泣きながら微笑んで。少年の姿を夢想する。
きっと近い内に少女の元を訪れるのだろう。少年が幼い時から、幼なじみと共に少女の元へ何度も足を運んでくれていたのだから。
幸せそうな笑みを浮かべて。今年も綺麗だね、と少女を褒めてくれるはずだ。
くすり、と笑い声が漏れる。懐かしさに目を細め、振り返って梅の幹に触れた。
ひらり、とスカートが広がるのを視界に収めて、ゆっくりと目を閉じた。
少女の姿が段々に薄くなる。端から解けるように形を失い、しばらくすれば少女の姿はすべて消える。

少女の消えた梅の木の根元を一筋の風が通り過ぎ。満開に咲いた白い花弁を、ひらり、と空へ舞い上がらせた。





それからいくつもの年月が過ぎて。
大人となったかつての少年は、彼の家族を連れてその梅の木の元へ訪れた。
幼い娘が、楽しげに辺りを駆け回る。それを穏やかに見守りながら、妻の手を引いて木の根元へ腰を下ろす。

「白い花が雪みたい!とってもきれいね」
「気に入ったみたいで良かったよ。この梅は父さんの大切な思い出だからね」
「思い出?なにそれ!」

駆け寄る勢いのまま抱きつく娘を優しく抱き留めながら、目を細め、梅の木を見上げた。

「父さんの幼なじみと一緒に見つけた、秘密の梅の木なんだよ。それにこの木はね、よく似ているんだ。父さんの初恋の人に」
「はつこい!」

きゃあ、と娘は声を上げて笑う。
優しく娘の頭を撫でながら、父となった少年は視線を木から己の妻へと移す。
穏やかに微笑む妻の、梅の花のように白いスカートの裾が。
風になびいて、ふわり、ひらり、と揺らめいた。



20250303 『ひらり』

3/3/2025, 1:42:41 PM