夜の祝福あれ

Open App

曇りの庭

午後三時、庭の紫陽花が静かに揺れていた。空は一面の灰色。雨が降るでもなく、晴れる気配もない。そんな曇りの日は、いつも彼女の記憶を呼び起こす。

「曇ってるね」と、祖母はよく言った。「でも、曇りの日こそ、色がよく見えるのよ」

その言葉を思い出すたび、彼女は祖母の庭に立っている気がした。色褪せたベンチ、苔むした石畳、そして、曇り空の下で鮮やかに咲く花々。祖母は、曇りの日にしか庭を歩かなかった。

「晴れの日はまぶしすぎて、花の本当の色が見えないの」

彼女は祖母の死後、庭を受け継いだ。最初は何もわからず、花も枯れかけていた。でも、曇りの日にだけ水をやり、剪定をし、語りかけるように手入れをするうちに、庭は少しずつ息を吹き返した。

今日も曇り。彼女はベンチに座り、祖母の古い日記を開いた。そこには、曇りの日の庭の記録がびっしりと書かれていた。

「6月12日、曇り。紫陽花が青くなった。雨はまだ。風は西から。庭は静か」

その静けさの中に、祖母の声が聞こえる気がした。

曇りの日は、過去と現在が重なる。色が浮かび上がり、音が沈み、記憶がそっと寄り添ってくる。

彼女は立ち上がり、紫陽花に触れた。冷たい葉の感触。曇り空の下で、それは確かに生きていた。

そして彼女は思った。

「曇りって、悪くない」

お題♯cloudy

9/22/2025, 12:10:56 PM