真澄ねむ

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 あのときが、人生の岐路だったのだと思う。朝日が降り注ぐ中、玄関前を箒で掃きながら、千春はしみじみとそう思った。
(良い道を選べてよかった……)
 その日、千春はどうしても家に帰りたくなくて、ふらふらと夜の街を歩いていた。ぴろんぴろんとひっきりなしにケータイが鳴っていたが、鬱陶しいので電源を切った。
 この辺りはバイト先に近いので、ある程度馴染みはあったが、日が落ちてから出歩くのは初めてだ。夕方にはまだシャッターが下りていた店が、あちこち開いて明々としている。
 物珍しく周囲を見回すうちに、夜はますます深くなっていく。深夜を越えた頃、雨が降り始めた。しとしとと雨は辺りを濡らしていく。千春は急いで一番近くの軒下に避難した。
 ここは何かの事務所のようだ。民家ではなく、シャッターも閉まっているので、しばらくいても邪魔にはならないだろう。あと数時間、始発が出るまでは、雨宿りも兼ねてここで過ごさせてもらおう。彼女はシャッターにもたれて蹲った。
 少しもしないうちに雨足が強くなった。地面に打ち付けられた水滴が飛沫となって足元を濡らした。
 濡れた体はすっかり冷えた。寒さに震えながら、千春は眠気と戦っていた。何度も振り払っていたが、いつの間にかうたた寝していたらしい。誰かに肩を揺すぶられて、ようやく我に返った。
 激しかった雨音が、すぐ近くで雨が何かに遮られているような音に変わっていた。
「――大丈夫ですか?」
 はっとなって千春が顔を上げると、見知らぬ男性がしゃがんで心配そうに自分を見つめている。彼は己が濡れるのも構わずに、自分に向かって傘を差し掛けていた。
「一体、いつからここに……」そう呟くと、彼は目が覚めた千春に傘を持たせると立ち上がった。「とにかくここでは何ですから、事務所の中へどうぞ」
「ありがとうございます……」
 シャッターを開ける彼の後ろ姿をぼんやりと眺めながら、千春は言った。男性の後に続いて中に入る。彼は千春にシャワーと着替えを貸してくれ、更には話まで聞いてくれた。
 千春がどうしても家に帰りたくなかったのは、束縛が酷くて殴ってくるようになった彼氏に別れ話を持ち出したら、家の前で待ち伏せされ身の危険を感じるようになったからだった。彼は穏便に別れる方法を考えてくれるという。
「その代わり――と言っては何ですが、よかったらうちでバイトしませんか? 丁度、事務員を募集していたと思うんです」
 願ってもない提案だ。千春は一も二もなく頷いた。後日改めて面接を受け、晴れて採用された。
 今、本当に毎日が楽しい。

6/9/2024, 2:00:38 PM