なっく

Open App

[お題:理想のあなた]
[タイトル:壁になってる暇なんて]

 余命三ヶ月を切った邦城舞華が願うのは、もし生まれ変わったら推しの家の壁になりたいということだった。

 舞華は男性アイドルグループ『AMUSE』のライブ映像を前に、推しカラーの水色のサイリウムと顔入りの推しうちわを振り回している。そこが病室でさえなければ、多くの人が彼女に向ける目線は好奇なものになっていただろう。
 舞華は思う。むしろそっちの方が良かったなと。今は両親も、友人も、その目線には憐れみが混じっている。本当は元気が無いのに心配させまいとしているんだろうとか、だからこっちも一緒に乗ってあげようとか。そんな雰囲気を出している。それするなら察されないようにしろよ、なんて言ったことはないけれど。
 狂ったように推しうちわを振り回して、病室の空気を循環させる様を、どうしてそんな風に見られなくてはならないのか。サイリウムが生み出す光の軌跡は、空元気と気遣いで出来てる訳じゃない。
 まあ、でもタイミングが悪かったのだろうと思う。舞華が推しにハマったのは、病気が判明したのとほとんど同じ時期で、確かにそこには因果関係がチラリと見える。つまり、重病で沈んでいた心に、するりとアイドルが入ってきたのだと。
 けれどそうではないと舞華だけが知っている。きっと病気でなくても、舞華は彼にハマっていた。AMUSEのメンバーである瀬名亘は、それほど舞華の理想だった。

 舞華が推しに出会ったのはおよそ一年前、高校の体育の授業で倒れる二日前のことだ。
 AMUSEは朝のニュース番組で、新進気鋭の五人組アイドルグループとして紹介されていた。
『皆さんおはようございます!AMUSEです!』
 センターの浅倉泰介が明朗快活に言う。服の上からでもわかるほど筋肉質で、ベリーショートの体育会系だ。その両隣が細身でタレ目の江刈亮と、白い歯の笑顔が眩しい宇都美葵。よく話を振られるのが、天然でボケ担当の六岡蓮。そして微笑むことすらしない仏頂面が瀬名亘だ。
 中央の三人が人気なんだな、と舞華は思った。パフォーマンスでの歌割りが明らかに多いのだ。六岡蓮もトークでは目立っている。
 だからこそ、逆に瀬名亘が目についた。
 無口の仏頂面。どうしてアイドルを志望したのかも分からないくらい、アイドルに向いていない。そんな印象だった。
 気になって調べ始めたのがターニングポイントだったと、舞華は今さら思う。
 アイドルはスカウトされて始めたらしく、アイドル自体に愛はないということ。熱狂的なファンは気持ち悪いと思っているということ。そんなことをネットの配信で言ってしまい、炎上したことがあるということ。
 ファンの掲示板で『瀬名辞めろ』の文字が出てこない日はない。
 見ているだけで気持ち悪くなるようなその有様に、吐き気すら覚えた。そしてこうも思う。これを直接受ける瀬名亘は、どんな気持ちでアイドルをしているのだろう。
 答えは分からない。どれだけ探しても、彼がアイドルを続ける理由を語るシーンは見当たらなかった。
 確かにアイドルらしくない。ファンへの態度は最悪で、パフォーマンスも突き抜けているわけではない。トークもお世辞にも面白いとは言えない。ただ──
「顔かっこいいな、瀬名くん」
 突き詰めるとそれだけなのかもしれない。じゃないと調べることすらしなかっただろう。徹底的なファンへの冷たさ。アイドルへの無頓着さ。ファンからのバッシング。それでもなお、アイドルを続ける彼が、どこか愛おしく感じたのだ。
 それが舞華に始めて推しができた瞬間だった。
 
 ライブ映像を見終わり、グッズを片付けていると、病室に父親が入ってきた。
「今、大丈夫か?」
 父親の目線は推しグッズを経由してから舞華に移った。
「うん。大丈夫だよ」
 父親は舞華の推し活には寛容だ。どんなグッズも頼めば買ってくれる。理由は病気にある。残り少ない余命を、自由に生きて欲しいという親心だ。
 それを分かっていて利用するのは正直、気が引ける。最初の頃は病気様々だと思っていたが、余命が明確になった今ではそんなことは言えなくなった。
 かといって、推し活をやめるつもりはない。一生推すと決めて、本当に一生推せる人間がこの世にどれだけいるのか。少なくとも、舞華は一生推すと決めている。一生が終わっても推す。できるなら推しの家の壁になりたい。推しの一生を見ていたい。
「それで、どうしたの?」
 なんとなく、父親の態度が落ち着かない。
「あー、実はな、舞華にお客さんが来てるんだ」
「お客さん?」
 すると突然、病室の扉が開いた。
「・・・・・・どうも」
 そこにはひょっこりと半身を出した瀬名亘がいた。
「ん? え、は!?」
 そんな情けない声を出してしまう。いる! 確かにいる! 瀬名亘が仏頂面でそこにいる!
「初めまして」
 そんな一言で心臓が跳ね上がる。これはまずい、ただえさえ少ない余命がさらに縮んでしまいそうだ。後ろから入ってきたカメラも気にならない。
「は、はじめまして・・・・・・えっと、あの、あの!」
 続きの声が出ない。何もかも上手くいかない。なにせ、聞きたいことが多すぎる。
「実は、お父さんから俺のファンだって聞いて、それでまぁ、サプライズで」
 瀬名亘は辿々しく説明する。要するに、父親が彼らの番組に連絡をしたのだ。余命幾許もない娘に、大好きなアイドルを直接合わせてやりたいと。そんなところだろう。
「実際見て、どう?」
「えっ、えっと、すごくかっこいいです」
 素直な感想だ。それを聞いた瀬名亘は微かに笑う。
 笑っている。瀬名亘が笑っている。その笑顔から目が離せない。でも、どういう理由で?
「あの、瀬名く・・・・・・瀬名さんは、私がファンで嬉しいですか?」
 瀬名亘は一瞬きょとんとした顔をして、声を大きくして言った。
「もちろん! 俺を推してくれてありがとう。舞華ちゃん」
 その言葉を頭の中で繰り返す。
 ありがとう。その文字列を瀬名亘の口から聞いたのは初めてだった。どの映像にもそんな記録はない。
 なんか、イメージと違う。
 瀬名亘ならきっと「別に普通」としか言わない。そんな優しく微笑まない。それは六岡蓮や、宇都美葵のすることだ。いや、そもそも瀬名亘ならこんなところに来ない。
 瀬名亘が言葉を続ける。
「重い心臓の病気なんだってね。大丈夫、きっと諦めなきゃ大丈夫だから」
 瀬名亘なら、言わない。そんな無責任に寄り添わない。もっと冷たく突き放してくれる。理想の瀬名亘なら、きっと──

 そこから十分ほど話して、テレビクルーは病室を去った。瀬名亘は最後まで笑顔だった。張り付いた嘘の笑顔。帰りに渡されたのはサイン色紙だ。案外、字が綺麗なことを初めて知った。

 そして一年後、舞華はまだ生きている。医者は奇跡だと言い、両親は泣いていた。間も無く退院できるらしい。もう既に退院の準備を始めている。
「これどうするの?」
 母親が段ボールを指して言う。
「あー、一応、とっとく」
「はいはい。それから、時間あるなら勉強しときなさい。二年も学校行ってないんだから」
「分かってるよ」
 そう、分かっている。なにせ未来は続くのだ。いつまでもではないが、それなりに長く続く。
 壁になってる暇なんて、無い。
 

5/20/2023, 6:40:17 PM