澄んだ瞳(2023.7.30)
俺は犬だ。「名前」とかいう人間が他の犬と俺を識別するための呼び方はいくつかあったが、そのどれもしっくりこないから、自分のことは「犬」と呼んでいる。
一口に犬と言っても種類があるじゃないかと抜かす奴がいるが、基本的に目鼻口耳尻尾があってワンと鳴く奴はみんな犬だ。まぁ、俺を見た人間は大体「なんかふてぶてしい顔をした犬だな」と言うから、そういうもんなんだろう。
俺の一日は狭っ苦しいガラスケースの中で始まり、そして終わる。そのケースの目の前をいろんな人間が通って、こっちを指差したりガラスを叩いたりと好き勝手やってくれる。昔、隣のケースにいたじいさんの犬に聞いた話だと、人間はここで俺たち犬やら猫やらを、「カネ」とかいうやつと交換しているらしい。「カネ」はたまに人間が持っているのを見るが、どう見たって食えも遊べもしなさそうなあの紙っ切れやら石ころやらをもらって何が嬉しいのやら。頭のよろしい人間様の考えることは全くわからない。
さて、このなんともつまらない毎日だが、もちろんいつか終わりはある。人間様に不人気な奴は、いつしかケースから出されて、どこかに連れていかれるのだ。まぁ、十中八九殺されるのだろう。そしてその条件は、俺にもピッタリ当てはまっていた。いつも俺にエサを運んでくる人間が、やたら憐れみを込めた目で俺を見ながら、コソコソと人間同士で話している。もうすぐ俺にも順番が回ってくるってことだろう。特に悔いもないが、クソッタレな生涯だったな。
そう思っていた次の日、俺のケースの前にメスの人間の子供が来た。大体の子供は俺に興味を持たないか、俺の見た目について可愛くないだのなんだのと騒ぎ立てるが、こいつは違った。ただただ、俺の方をじっと見つめていた。あの人間とは思えない、澄んだ瞳だった。
そのとき、メスの人間の子供の親らしき人間二人がこちらにやってきた。この二人はどちらも人間らしい、というか人間の中でも特に濁り切った目をしていて、全く子供と似つかなかった。親のうちのメスの方はオスに媚びるように寄りかかっていた。
「サキ、こいつがいいの?こんなのやめとけば?」
「……このこがいい」
「そ。じゃあ店員さん、この犬でお願いします」
親子は何やら会話をすると親の方は俺に興味を無くしたようで、手に持っている薄い板をいじり始めた。子供の方はまだ俺の方を見ていて、どうやら自分は「買われた」らしいと俺が気づいた時も、俺にじっと付き添っていた。
「…ごめんね、ママはとってもこわいけど、わたしがちゃんとまもるから。おせわもするから」
人間の言葉は俺には理解できないが、その子供の言葉は、なんだかあたたかいような気がした。
7/31/2023, 7:01:13 AM