hikari

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暗がりの中で 

私は「傷ついた分だけ優しくなれるよ」という言葉を聞くと、複雑な気持ちになる。というか、私はあんまり好きじゃない。 なぜなら、私にとって「傷つく」というのは優しさに繋がるものではなく、ただただ深く、終わりなく傷が増えるようなものだったからだ。

同じような苦しみを持つ人を見れば、心の奥に劣等感が反応して、「自分の方が不幸だ」と張り合おうとしてしまう。そして自分とは違う境遇の人を見れば、その人の不幸を見下し、自分を保とうとする。自分の心が荒れ果てた乾いた土地なのに、一滴の水すら吸収できない、そんな枯渇した状態なのが分かる。たとえ一粒の涙がこぼれたところで、乾いた心には届かないのだ。

私の中には余裕もなかった。もし空腹のときに目の前に食べ物があれば、きっと他人に分ける余裕もなく奪ってしまうだろう。そして、残るのは罪悪感だけだった。くだらない虚栄心や嘘、陰口といった些細な行動が、じりじりと自分の心を蝕んでいく。転がる石は止まり方がわからない。私は「傷ついた分だけ優しくなれる」どころか、「もっと傷ついてきたのに!」と周囲に主張して、また他人を傷つけてしまうのだ。

これを言葉にして表現すると、なんだか幼いように感じられて、自己嫌悪や恥ずかしさが湧いてくる。それでも、正直なところ、これが私の中にある感情そのものだ。

それでも、「傷ついた分だけ優しくなれる」という言葉に、どこかで惹かれてしまう。たとえ自分にとっては難しく感じられても、信じていたい気持ちがあるのだ。

私の人生の暗がりといえば、職を失い、病気になり、頼りにしていた人に別れを告げられた時期だった。お金も底をつき、未来が真っ暗に見えていた。何もかもが空虚で、不安すら感じられないほどだった。誰にも何も言わず、ただ死ぬタイミングを考えていた。そんなとき、友人がそばにいてくれた。

その友人は、私よりも多くの死別を経験し、早くに自立していた。彼女自身も望まぬ不条理を背負っていたけれど、それでもそこから滲み出る魅力があった。同年代には持てない深みと余裕が彼女にはあったのだ。そして、彼女が私に「生きていればそれでいいよ」と言ってくれた言葉が、私の心に深く届いた。まるで心臓が身体の奥底に落ちるような感覚だった。

友人は、ただ私の存在を受け入れてくれていた。彼女の傷が、彼女の言葉と佇まいのすべてに滲み出ていた。私はただその存在に感謝しても仕切れなかった。そして、友人が乗り越えてきた痛みが、確かに私を癒してくれた。あの日、私はその友人や同じように痛みを抱えた人に、心から優しくしたいと思った。自分の未熟さを痛感して泣いた。

人生の暗がりの中で、誰もが傷つく。傷つかないほうが良いし、苦労しないならそのほうが良いに決まっている。けれど、望まずに刻まれた傷が、思いもよらない形で他人を救うことがあるのだろうと思う。

「傷ついた分だけ優しくなれる」という言葉を、本当は心の底から言える自分になりたいのかもしれない。まだどこかで反抗してしまう自分がいるけれど、暗がりの中で、あの日の友人のように、私は誰かに静かに寄り添える人でありたいと思うのだ。

2024.10.28 エッセイ-暗がりの中で

10/28/2024, 12:40:00 PM