♯物語の始まり
三年間机を並べた同級生たちと別れ、僕は幼なじみと一緒に駅へ向かう。麗らかな陽射しの下、春の柔らかい風が無人のホームに吹き渡っていた。
「……なんかさあ」
線路に目を落としながら、幼なじみがぽつりと呟く。
「高校に入ったときは、ここから始まるんだって予感があったんだけどなあ」
「なにが?」
「僕だけの壮大な物語だよ」
僕は思わず失笑してしまった。
「なんだい、それ」
幼なじみはニコリともせず、
「わかんねえ。だって始まらなかったし」
そうぶっきらぼうに言った。
僕はこれまでの三年間を振り返る。事件にも事故にも巻き込まれなかった。勉強にも部活にもつまずかなかった。ちなみに彼女もできなかった。『ないない』づくしだ。それが、この幼なじみにはつまらなかったらしい。
――でも、それこそが、平和ってコトなんじゃないかな。
変わらない日常は、本当ならそう簡単には得られないものだ。
けどそう口にしたところで、頷いてもらえないのはわかっている。だから僕は鳥の啼き声に乗せて謳うように言う。
「これから始まるのかもしれない」
次の瞬間、幼なじみは聞いているこっちが憂鬱になるほどの長い長いため息を吐いた。じろりと恨みがましい目を向けてくる。
「君さあ、小学校を卒業したときもそう言ったし、中学校を卒業したときもそう言ったよなあ?」
「逆に言うとそっちも同じことを言ってるってことだよ」
幼なじみは図星をつかれたような顔をすると、ふいっと視線を逸らして、小さく舌打ちをする。
「……きっと、君がいるから僕の物語がいつまでも始まらないんだ」
「……なら、ここから向こう四年間は始まらないね」
と、僕は安堵の笑みを返した。
4/19/2025, 12:24:51 AM