sairo

Open App

「調子はどう?」

部屋の扉を開ければ、窓辺に置かれたベッドで横になっていた彼女がこちらを向いて微笑んだ。

「いらっしゃい。今日も悪くないよ」

起き上がろうとする彼女に慌てて駆け寄り、そっと背を支える。ありがとうと礼を言う彼女の顔色はいつもより明るく、密かに安堵の息を漏らした。

「お兄ちゃんから、連絡はあった?」
「お盆の時期には戻るんだって。それくらいかな」
「連絡しろっていつも言ってるのに……ごめんね」

申し訳なさそうに謝る彼女に、気にするなというように笑う。
彼女が気にすることではない。けれど自分の気持ちを知っている彼女は、彼の行動が歯がゆく感じられるのだろう。
相変わらず彼女は優しい。ふふ、と思わず笑いながら、いつもの定位置に座った。

「――あれ?ちょっと痩せた?」
「ん。夏までに、できることはしないとね」
「今のままでも十分可愛いのに……メイクも少し濃くなったでしょう?」

鋭い指摘に、少しだけ視線を逸らす。
両親も気づいてはいなかったというのに。彼女はいつも、些細なことですら気づかれてしまう。

「そんなことよりさ。今日はどんな話をしようか?」

誤魔化すように話題を変える。まだ何かを言いたげな彼女は、けれどそれ以上は何も言わず、悩むように視線を窓の外へと向けた。

「学校の話がいいな。受験とか、最近流行ってることとか」
「了解」

頷いて、彼女の手を取った。学校での出来事を思い出しながら、ゆっくりと話し始める。
ある日突然、外に出られぬ程に体が弱くなってしまった彼女。一緒に通うはずだった学校生活の話を、どんな気持ちで聞いているのだろうか。

「いつもありがとう……ごめんなさい」
「ごめんはNGワードなので、ペナルティです」
「あ、そうだった。えっと、最近のお話……何かあったかな?」

悩む彼女を見ながら、ほんの少しだけ握る手に力を込めた。温もりと共に伝わるどろりとした痛みに、奥歯を噛んで必死に耐える。
彼女を蝕む病。それを半分だけ受け入れられることに気づいたのは偶然だった。

「お医者さんがね、成人式は迎えられるかもって驚いてたくらいかな。それをお兄ちゃんに伝えたら、近いうちにお祝いに戻るって言ってたけど」
「相変わらずだね」
「妹離れできてなくて困っちゃう。そのせいか壊滅的に鈍いし」

溜息を吐きながら出た彼への文句に苦笑を漏らす。彼女が怒る時は、いつだって誰かのためだ。
自分とは正反対の彼女は、きっと心が透明なのだろう。だからどんなに苦しくても、誰かに当たることなく笑顔を浮かべることができる。
自分とは違う。嫉妬して心が真っ黒になった自分は、どんなに努力した所で彼女のようにはなれない。
思い出す。彼女の命があと数年だと医者に告げられてからのことを。
今まで遊んでいた彼女たちと遊べなくなり、寂しさと理不尽な怒りを抱えて彼女の家に行った。
ただの八つ当たりだった。幼かった自分は、二人と遊べない理由を何も分かってはいなかった。
彼女の部屋に入った時、苦しそうにしながらも、こちらを見て微笑んだ彼女を忘れられない。

「――どうしたの?何か疲れてるみたい」
「そうかな?勉強疲れか、それとも私にはお盆に帰るって言いながら、その前に帰ってきそうなあいつに呆れたのかも」

そう言えば彼女は眉を寄せて、ここにはいない彼に対して怒ってみせる。
それを笑いながら、彼女に気づかれぬようにそっと息を吐き出した。
自分のしていることを、彼女に気づかれてしまう訳にはいかない。
これは献身などではない。ただの自己満足だ。彼女と少しでも長く一緒にいたいという、自分のエゴだ。
それでも知ってしまえば、優しい彼女は苦しむはずだから。
泣いて止めてほしいと願われてしまえば、会えなくなってしまう気がするから。

「まあ、別にいいけどね。むしろあいつがいない方が、色々と楽しくおしゃべりできる訳だし」

痛みを笑顔で誤魔化して、彼女の手をただ握っていた。





「――ただいま」

部屋に入ってきた青年は、暗い顔をしてふらふらと少女の側まで近づいた。

「お兄ちゃん……」

ベッドの上で上体を起こした少女は赤く泣き腫らした目をして青年を見つめ、俯いた。
ベッド脇の椅子を引き、青年は何も言わずに腰かける。それに対して少女は何も言わない。

「まだ意識は戻ってなかった。これから先もやっぱり分からないようだ」
「そう……」
「お前の調子のいい日に、今度は一緒に行こうか」

返事の代わりに、少女はぎゅっと両手を握り締めた。爪が皮膚に食い込むのを見て、青年は何も言わずに手を重ねる。

「――私が、奪ったんだ」

微かな声は、震え掠れている。込み上げる激情が滴となって、少女の頬を伝い落ちた。

「なんとなく気づいてた。あの子が来てくれた後は、体の調子が良くなるの。だから、気づいてない振りをしてた。気づいてたのに……あの子がやつれてたのも、メイクで顔色を誤魔化してたのも、全部気づいて……っ」

言葉が詰まり、そして次第に啜り泣きに変わる。青年はそんな少女の背を、ゆっくりと撫でていた。
無言だったのは、かけるべき言葉が見つからなかったからだ。少女の言葉を否定することも、上辺だけの慰めも意味はなく、おそらくこれからも言葉が届くことはないだろう。
少女があの子と呼ぶ幼馴染が倒れたのは数日前のこと。それからずっと、少女は幼馴染が倒れた原因は自分のせいだと思い込んでいる。ただの偶然。誰かの健康を奪うことなどあるはずがないと周りの人々が何度言っても、少女が聞き入れる様子はない。
それ程に少女の後悔は強く、悲しみは深かった。

「私が、あの子を奪った……ずっと羨ましかったんだ。私はこんなに苦しいのに、皆はそんなことないのが憎かった。外の話を聞くのも嫌で、でも聞いた後は少し楽になれたから我慢して……あの子はただ私のために話してくれたのに。あの子の純粋な優しさを利用して、透明できらきら煌めいてた心を騙し続けてたから、あの子は……」
「大丈夫だよ」

届かないと思いながらも、青年は耐えきれず少女に向けて囁いた。

「大丈夫。ちゃんと目が覚めるさ。その時は、会いにいこう。今度はあいつが寝てた間の話を、俺たちが話してやろう」

それは少女に向けてというよりも、自分自身に向けて言っているように聞こえた。
目を伏せ、青年は眠り続ける幼馴染を思い浮かべる。
うっすらと微笑みを浮かべているように見えた寝顔。
まるで楽しい夢でも見ているかのようで、それだけが微かな希望を信じさせてくれていた。



20260521 『心は透明で』

5/22/2026, 6:14:56 PM