絨毯の細かい目に溜まった埃のように、たくさんの記憶が溜まりに溜まっている、
というのが、私の抱いている記憶のイメージである。
それらは、普段は忘れているけど、どうかすると、ふと思い出してしまう、とても鮮明に。
先日ここに書いた、中学時代に異性の先輩と相合傘をした話など、
他人からしたら、なんのハプニングも起こらないし、変化球もないストレートボールで、
「金返せ!!」「告れや!!」「押し倒さんかい!!」などと野次が飛んでもおかしくないのだが、
書いた当人にとっては、これでも珠玉のように美しい記憶なのである。
その時の記憶では、私はいつまでも中学生だし、たった1つ歳上の先輩が、すごく大人に見えているのだ。
21歳か22歳の時、映画『マルサの女』が公開された。たまたまその日は「成人の日」に重なったのだろう、
伊丹十三監督が1人で舞台挨拶に現れて、作品については一切触れず、何故だか成人に向けたスピーチみたいな話をし出した。
たまたま私は若かったが、劇場(シアターアプル)の観客の年齢は様々だったのに。
伊丹十三は、映画監督の伊丹万作の息子である。
万作の家には多種多様な人が頻繁に訪れたが、ある日、学生服を着た青年数人がやって来て、十三の母は彼らにご馳走を振舞ったという。
当時は戦争真っ只中、戦局は悪い方へ悪い方へと傾いて、如何に万作の家でも贅沢な物は口に入らなかったのに、伊丹家では、たぶん精一杯のもてなしをしたのである。
十三は訳が分からなかったが、彼らのお相伴をし、しばらくは遊び、やがて彼らは礼を述べ、爽やかに帰って行ったという、
後で分かった事だが、その青年達は
神風特別攻撃隊のパイロット達だったそうで、
出陣前にせめてもの慰労をしたという事情だった。
だから、その時の青年達はすごく立派に大人びていたけれど、本当はかなり若かった筈なのである。
舞台挨拶をする監督は「自分はいま55歳ですが」当時の青年達を思い出す時、彼らが子供だったとは、到底思えない、55歳の私よりも、ずっと彼らの方が大人に感じてしまうのです。
と語っていた。
『マルサの女』と本当に関係のない、そんな話をして、伊丹十三はまた何処かの劇場へ向かった。
監督の深いシワを私はかなり至近距離で見ていた。
そして、この話をする私も、いつの間にか、当時の監督の年齢を越えてしまった。
到底、彼が私よりも年下とは思えない。たぶん、私が80歳になっても、伊丹十三のイメージは、
いつまでも私よりずっと上なのだろう。
5/10/2024, 1:15:26 AM