sairo

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「今度の週末、これに行かない?」

そう言って差し出された雑誌に目を落とす。

――『この春おすすめ。スイーツバイキング特集!』

カラフルなポップで書かれたタイトル。綺麗で美味しそうなケーキの数々。
目を瞬いても、変わらない。彼に化かされている訳ではないらしい。

「えっと…こういうの、食べて大丈夫?」
「狐は雑食だから、多分大丈夫。ボクのお姉ちゃんもよく行ってたし」
「――そ、そっか」

雑誌を見る振りをしながら、さっきまではなかったはずの彼のしっぽを見る。ゆらゆらと落ちつきなく揺れているのは、不安からだろうか。
雑誌から顔を上げて彼を見る。いいよ、と頷けば、嬉しそうに破顔した。て雑誌を鞄に戻した。
雑誌がなくなった事で、彼との間の隙間が露わになる。ふさふさとした彼のしっぽ、一本分。たったそれだけの距離が何故か遠い。

「これからどうする?街にでも出てみようか」

いつもならばこのまま草原でのんびりするだろうに。今日の彼は随分と様子が違う。
いや、今日だけではない。少し前――正確には彼との関係が変わってから少し後に、彼は人の生活に興味を示すようになった。
彼が人について知ってくれる事は、とても嬉しい。でもそのせいで、彼との距離が広がって行くのが、それ以上に寂しかった。

「――いい。今日は暖かいし、このままゆっくりしたいな」

曖昧に笑って、空を見上げる。以前の、まだ大切な友達でいられた頃の時には、寄り添いながら雲が何に見えるかを話して笑い合っていたはずなのに。
あれからずっと、手を繋いでいない。好き、の一言が出てこない。
少しだけ乱れた呼吸と熱くなる目元を誤魔化すように、深く呼吸をした。
ふと、風に乗って、目の前を白い花びらが流れていく。くるり、ふわり、と舞う姿を、ぼんやりと眺め。惹かれるようにして、手を伸ばした。
花びらに触れる、その一瞬前。同じように手を伸ばしていたらしい彼の手に触れた。

「っ、ご、ごめんね!」

思わず、後退る。彼との隙間がしっぽ一本分から、狐の姿の彼、一人分に広がってしまったけれど、今は気にしてなどいられない。
熱い。触れた指先から伝った熱が全身に回って、くらくらする。鼓動が忙しなく踊り出し、じわりと視界が滲み出す。
何なのだろう、これは。わたしは、一体どうしてしまったのだろうか。

「――大丈夫?」
「だ、大丈夫。花びらを見てて、気づいてなかったの。本当にごめんね」

わたしは何故、謝っているのだろう。前は触れただけで謝ることなんてなかったのに。
彼が距離を詰めてくれないからだろうか。前のように偶然を笑い合って、そのまま――。
そこまで考えて、硬直する。笑いすぎて狐の姿に戻ってしまった彼とじゃれ合っていた事を思い出して、全身がさらに熱くなる。

「――ひゃあぁぁ!」
「えっ、ちょっと!本当に、大丈夫なの?」

大丈夫ではない。もう、大丈夫ではなくなってしまった。
心臓が煩い。煩くて、痛くて。これ以上は耐えられないと、さらに距離を取るため腰を浮かして。

――風が、吹き抜けた。

逃げようとする体を押し止めて。彼との距離を縮めるように、強く体を押す。倒れないようにと足に力を入れるけれど、許さないとばかりにさらに風は強さを増して。
とん、と。背中を押されるような錯覚を覚えたのも束の間。

「きゃぁ!」
「うわっ!」

彼との距離が、なくなった。


「ぅ、ごめん。今、」
「ちょっと待って。ちょっとだけ、このままでいて」

彼の上に乗り上げてしまった格好に、慌てて身を起こそうとするも、彼に手を掴まれて動けない。
彼が近い。さっきはあれだけ距離がある事が寂しかったはずなのに、今は早く離れたいと思ってしまう。
それでいて、前と同じ距離にとても嬉しくなってしまうのだから、もうどうすれば良いのか分からない。

「少しだけ、話してもいい、かな」
「………いい、よ」

話したいという彼に、このままで、と尋ねるかを迷い。結局何も言えずに頷いて、くらり、と揺れる視界の中で、彼の話を待った。

「この前ね、ボクのお姉ちゃんがお嫁さんに行ったんだ。その前の日に話をして。キミと、こ、恋人、に、なった話もして」

途中、不自然につかえた彼に、少しだけ落ち着く。彼を見れば、耳まで真っ赤になっていて。触れている所から、彼の心臓の忙しない鼓動が感じられて。
意識しているのはわたしだけでない事に、気づいた。

「その時に、お姉ちゃんが言ってたんだ。相手に合わせろって。狐と人間は、いろいろと違うから、まずは相手を知る事から始めなさいって…だからたくさん勉強して、距離感とか態度とか、人間に合わせてみた、んだけど」

へにゃり、と彼の髪の間から飛び出た耳が、力なく垂れる。眉を下げながら笑う彼は、ごめんね、と小さく呟いた。

「やっぱり、この距離がいい。関係はさ、友達、から、こ、恋、人に、なったけどさ…えと、駄目かな?」

駄目じゃない。その一言を言おうと口を開き。けれどもうまく声が出ずに、乱れる呼吸を誤魔化すように軽く活きを吐いて、馬鹿、と囁いた。

「馬鹿じゃないし。嫌なら、別に我慢出来るから」
「そう、じゃ、なくてっ!」

どうして彼は気づいてくれないのだろう。相手を知る所から始めると言われたのに、どうして。
彼を睨む。赤いだろう顔で睨まれても怖くはないだろうけれど、精一杯の不満を表す事は出来ているはずだ。

「相手を知るなら、まず、わたしに言って。全部、わたしに聞いてよっ!」

半ば叫ぶように伝えれば、彼はあ、と小さく呟いて。さらに顔を赤くして、わたしの大好きなお日様のような笑顔を浮かべた。

「じゃあ、教えて?どうすれば、キミに喜んでもらえるの?今、一番欲しいものは?」

問われて、言葉に詰まる。聞いてと言ったのはわたしだ。訊かれたのなら答えなければ。
視線を彷徨わせながらも、覚悟を決める。彼から欲しいものは、結局は一つだけだ。
息を吸う。声が小さくなってしまうのは、許してほしい。

「――わたしの事、どう思っているのか、教えてほしい」


言葉でも。態度でも。伝えて欲しい。
か細い声で答えれば、彼は掴んでいたままの手を引いた。
強く抱きしめられる。急な事に混乱するわたしの耳元でくすくす笑いながら、彼は一言囁いた。

――大好き。と。





「ああ、もう。何なんだ、まったく」

珍しく感情を露わにしながら戻ってきた彼女に、思わず飛び上がる。

「ど、どうしたの?」
「どうしたもこうも。間怠っこくて、もだもだする…やっぱり、もっと強く押せばよかった」
「え?本当に、何があったの?」

聞いても彼女は答えない。こちらには気づいてもいないのかもしれない。
少しだけ、寂しくなる。それでも、そんな気持ちを彼女に伝えられなくて、力なく尾を垂らした。
こんな時は寝てしまうのが一番だ。しばらくすれば彼女も落ち着くだろうと、座り込んで。

「ねえ。私達、親友だよね?」

突然の問いかけに、尾を膨らませて飛び上がった。

「私達、親友だよね。前にそう言ったもんね」
「――う、うん。わたしたち、親友。大親友!」

笑顔で顔を近づける彼女に、慌てて頷き肯定した。
本当に、何があったのだろう。こんな彼女は初めてだ。

「じゃあ、これから一緒にうどん屋さんに行こう。だしのきいたお揚げが食べたいんだよね、私」

行こう、と誘いの形を取ってはいるが、疑問形ですらない。けれど否定する訳にもいかず、必死に首を縦に振って彼女に答えた。

「なら早く行こう。口の中が見えない砂糖でじゃりじゃりしてて、気持ちが悪いんだ」
「えっ!?大丈夫なの、それ。うどん屋さんじゃなくて、お医者さんに行くべきじゃ」
「気分を変えれば、元に戻るから大丈夫…ほら行こう」

そう言って、有無を言わさず抱き上げられる。足早に歩く彼女に焦って、腕をぺちぺち叩いた。
狸の姿のままで、うどん屋へは行けない。

「下ろしてっ。まず人間にならないと」
「近くに行ったら下ろすから。それまで大好きな親友を堪能させて。お願い」
「!?え、あ。だ、大、好き…!」

思わず尾が揺れる。

「あ、あの、ね!わた、わたしもっ」
「知ってる」

毛並みに顔を埋めながら、彼女は目を細めた。
全部、知られている。それは分かっているけれど、それはそれ。ちゃんと言葉にしたい。

「わたしも。大好きだから!」

必死に叫んで、彼女に擦り寄った。



20250318 『大好き』

3/18/2025, 2:07:54 PM