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 "例えばある日、この世の慈悲の無さや、自分の限界を唐突に知ってしまうことはないか"
 
 友人を騙した。家族を殴った。であるのなら、返す刀で鋭い一閃を食らうことは、つまるところは自業自得であろうと言うのに。嘘を付かれて。価値観や人間性を頭ごなしに否定されて。「自分は」と嘆くばっかりだ。
 責められやしない。きっと誰だってそうなのだ。

 そうして酷く傷付けられて。大人になってしまったのなら、傷付けられた自覚はとうになく、悲しさは苛立ちとして消化されてしまうから。行き先はベッドの中でも、もちろん唯一無二の誰かの腕の中でもなく、しけた酒場と、チューハイの齎す泥酔の中にしか、ない。連れがいれば止められるほどの量の酒を入れて。帰り際に肩をぶつけてきた誰かに八つ当たりをして。
 翌日の昼頃、目を覚ます。朝から入れた、友人との約束をすっぽかしたことを自覚する。

 「どうせ雨だからいいよ。また行こうな」

 なけなしのフォローが、1時間も前に来ていて。

 惨めで、惨めで、仕方がなくなる。そうして唐突に悟るのだ。
 どうしたって世界は自分に優しくない。けれど等しく自分も他人に優しくなどはない。ならばお前の嘆く不幸の一切は、いつかお前が先に手のひらを返し、そうして述べられた手を、小蝿のように振り払った罰である。
 泣けるだろうか? 嗤えてくるか。思うに一切の激情はなく、泣けもせず嗤えもせず、もう一度酒を煽る気分にもなれず、かといって気分転換などとうに望めない。あらゆる現実逃避は虚しさを何倍にも膨れ上がらせて、結局は、曇天の日の暗い部屋で、湿度の高いような、息の詰まるような部屋で、ぼんやり天井のシミを数えている。

 ああ、鬱屈。鬱屈というのだ。いつかの人生のある日のことか。曇天、雨も降らない曇天の日の。想像に易いだろう? 人生が曇る日なんて、誰にとっても。

 どうしたって良く在れないんだろうな。
 遠くで、雷が鳴った。

【遠雷】

8/23/2025, 6:55:09 PM