sairo

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柔らかな日差しを感じ、目を開けた。
見上げれば、青空がどこまでも広がっている。高く昇った陽が、遠くまで明るく照らしていた。
とても静かだ。生き物の気配はここにはない。
苦笑して、戯れに枝を揺らした。葉がすべて落ち枯れた枝は軋んだ音を立てるばかりで、寂しさだけが募っていく。
慰めるような柔らかな風が幹を撫でるが、積み重なる思いは溶けそうにない。

「寂しいな」

誰にでもなく呟いた。
ここには何もない。何もかもが流され燃えて、無くなってしまった。
自分もそろそろ消えるのだろう。枯れた枝にはもう、新しい芽が出ることはない。
結局待ち人は来なかった。約束をしてはいたものの、すでに何十年も前のこと。元より帰れぬ覚悟で出征したのを知っている。残される自分を憐れんだ言葉だったのだろう。

「酷い男だ」

思わず恨み言めいた言葉が口をついて出る。
彼の前にも自分に優しくしてくれた人間がいた。色々な話を聞かせてくれ、笛を教えてくれた人間は、ある日を境に姿を消し二度と戻ってくることはなかった。
悲しくはあったが、すぐに諦めもついた。木と違い、人間の生は短い。その貴重な時間を自分に割いてくれたのだと思えば、逆に感謝の念すら抱いた。

「本当に、酷い男だった」

何も言わず消えた人間と待ち人を比べ、酷いと繰り返す。
彼も何も言わずに去ってくれればよかったのだ。そうすればこうしていつまでも約束にしがみつき、終わりの刻《とき》を見誤ることはなかったというのに。
そうは思うものの、不思議と彼と出会ったことを後悔していない。難儀なものだと思いながら、笑みを浮かべ目を閉じる。
何も聞こえない。ただ優しい風が幹や枝を撫でていく。日差しが遠ざかり、深く暗い場所へと落ちていく感覚に身を委ねる。

誰かの声が聞こえた気がして、最後まで約束を忘れられない自分に呆れながら笑った。





「また、こんな所で寝ていたのか」

揺り起こされて、目が覚めた。

「少しは暖かくなってきたとはいえ風は冷たいし、陽が暮れれば一気に寒さが強くなるんだぞ。昼寝をしたければ家の中にしろ」

呆れた顔をして彼は溜息を吐く。
気まずさに視線を逸らし、体を起こす。大丈夫だと伝えたいが、それを言ってしまえばさらに彼の機嫌が悪くなるのだろう。何度も繰り返したやり取りに、出かけた溜息を飲み込んだ。

「いい加減、人なんだって認識してくれ。百日紅だった頃とは違って、風邪を引いただけで大事に至ることもあるんだぞ」
「分かっている」
「分かっていないから、こうして何度も言っているんだ。ただでさえお前に気づかれないまま何十年もいたんだ。これ以上俺から離れようとしないでくれ」

そう言われてしまえば何も言えなくなってしまう。
彼はずっと側にいた。自分はひとりではなく彼と寄り添っていたというのに、積もる悲しみや寂しさに何も見えなくなってしまっていた。

「熱はないな。だが体が冷えている」

頬を包まれ、額を合わせて熱を測られる。気恥ずかしいが、同時に触れる温もりに安心する。
彼がいる。悲しみの代わりに積もる愛おしさに笑みが浮かぶ。手を引かれて立ち上がり、彼に肩を抱かれながら歩いていく。

「――頼みがある」

ふと思いついて彼を見た。立ち止まりこちらを見る彼に微笑んで、先程まで眠っていた場所を指さした。

「いつか、新しい木を植えたい」

ここはもう、静かな場所ではない。戦火により燃やされ、天災により流されてすべてをなくしても草木は芽吹き、生き物たちが営みを始めている。
去っていった人々も道を作り、家を建て、新しい街を作っていた。
無からの始まり。自分たちの新しい始まりに、新たな木を植えたかった。

「いつか、でいいのか?」

意地悪く彼が笑う。すべて分かっているのだと、風のように柔らかく髪を撫でる。

「酷い男だ」

視線を逸らし、呟いた。けれども頬が赤いことに、きっと彼は気づいているのだろう。

「お前よりは酷くない。何十年どんなに呼びかけても触れても気づかれず、勝手に約束を反故にされたと思い込まれて、愚痴を吐く姿を見続けているより可愛いものだろう?」
「そういう所が酷いと言っている」

口では勝てぬと、肩を叩く。声を上げて笑われ、赤い顔を隠すように叩いた肩に額を擦り付けた。
宥めるように髪に口付けられた。そのまま耳に唇を近づけ、囁く。

「俺たちが大人になって、結婚したら百日紅を植えよう。だからそれまで健やかにいてくれよ」

優しい声に、ただ頷く。
恥ずかしくとも幸せな約束に、強くしがみつきながら想いが滴となって溢れ落ちるのを感じていた。





海辺の街の外れに、一本の百日紅が植えられている。
古くからそこに根を張る百日紅は海水を浴び枯れて朽ちてしまったが、とある夫婦が新しく木を植えたのだ。
かつては誰もいないはずの夜中に笛の音が聞こえると恐れらた百日紅は、今では子供たちの集まる場として穏やかにそこに立っている。

笛の音はまだ聞こえる。
それは木を植えた夫婦が奏で、それを継いだ子供たちの旋律。
長い時の中で何度も失われ、それでも何度も零から始まるこの場所を、祝福するかのような響き。

子供たちが歌う。笛の音が空に解けていく。
終わり、そして始まる繰り返しを、百日紅は見届けていく。



20260221 『0からの』

2/22/2026, 9:52:19 AM