「今朝、玄関の扉を開けたらふわっと雨の香りが舞い込んできてさ。あ、知ってる? 雨が降ったときに地面から立ち上るあの香りは、ペトリコールって言うんだって」
「……」
「雨に濡れたアスファルトとか雫を支える若葉を見るよりも早く、僕はその匂いで『ああ、昨晩雨が降ったんだ』って悟った」
「……そんな話どうでもいいから、早く私の前から消えてくれない?」
「これは手厳しいね」
【雨の香り、涙の跡、服の下の火傷痕】
「どうして君は、僕にそんなひどいことを言うのかな」
「うるさい、どうでもいいでしょ」
「顔を見られたくないのかな。さっきから一度もこっちを向いてくれない」
「関係ないでしょ」
「関係ないといえばそうだ、これは今の状況とは全く関係ない独り言なんだけど」
「……『関係ないといえば』で話繋げようとする人、初めて見た」
「ユニークでしょ。僕、雨の香りって好きなんだ。世界が、冷たい雨に静かに耐えた証だから」
「だったら何」
「雨が降っている現場には、立ち会えなかったけど。せめて君が戦った証を、知りたい」
「何の話。私、別に……」
「火傷痕みたいに長く残るわけじゃない。乾いたら見えなくなってしまうインスタントな傷跡が消えてしまう前に、僕に見せてくれないかな」
「…………馬鹿」
「やっと、こっち向いてくれたね」
6/20/2025, 7:40:45 AM