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「郁青、何をしているのかな」
「……ひぇっ」
 木枠に足をかけた瞬間、窓の外からにゅっと顔を覗かせてきた柳に慌てて窓を閉めようとする。が、窓枠に両腕を置いてその上に頭を乗せた柳に阻まれた。
「郁青?」
「ふ、不浄っ!ご不浄です!」
「半刻前も行っただろう」
「念には念を」
「つまり急を要しないんだね」

 『海の底』と書いて『わたのそこ』と読む。枕詞の一つで、後ろに沖、奥と続く。
 『燕子花』は『かきつばた』で、丹、さきと続く。
 『茜さす』は、日、昼、紫、君。
 『久方の』は、天、雨、月、空、光……
 しかつめらしく文机に向かって歌のいろはを勉強していた郁青だが、四頁目で筆を放った。
 この他にも多くの枕詞が存在し、歌を詠む上で非常に重要な知識らしい。柳手製の枕詞辞典を閉じた郁青は辞典に頭を擦り付けた。
 親が名門貴族だからといって、歌を詠む才能に恵まれているわけではない。しかも郁青の生家は、貴人の身辺警護を司る武人の一族である。筆より先に木刀を持つような家庭において、文才など宝の持ち腐れ、素敵な歌を創作する才能など不必要だ。あの暴力野郎が優雅に朗詠している姿を見たことがないし似合わない、と昔のことを思い出しかけたところで鼻を鳴らし、顔を上げた。
 乾いた筆に墨を含ませ、枕詞辞典を開く。
 護衛に歌が必要ないように、神官を養成する学校に入学する自分に、昔(俗世)の思い出など必要ない。

1/21/2024, 7:32:06 AM