近所の野良猫は、私にとって たぶん「特別」だ。
選んだつもりもないが、
いつの間にか、日常の中で、そこだけが引っかかっている。
その猫は、別に珍しくもない。
他の人から見れば、ただの一匹の野良だろう。
けれど、私にとっては違う。
毎朝、ほぼ同じ時間に現れる。
グレーのキジトラ柄。
地域のボスのような顔つき。
威厳のある顔つきなのに
頭頂部の一束だけ、数センチ長い毛があるのが、どうにも締まりきらない。
その小さな引っかかりと、毎朝の反復。
それが重なって、いつの間にか、
「今日もいるか」と気になる存在になっていた。
ある朝、挨拶をしてみた。
「おはよう」と。
猫は仏頂面のまま、反応を示さなかった。
それでも毎朝、同じように声をかけ続けた。
するとある日、
短く「にゃ」と返ってきた。
長く鳴かないのは、たぶん要求でも甘えでもない。
ただの確認。
「ああ、お前か」
そんなふうな響きだった。
その猫は、「おはよう」という意味を知らないだろう。
けれど、私が“おはようを言う存在”であることは、理解しているはずだ。
猫は人間と同じ喉の作りをしていない。
言葉を話すことはできない。
けれど、耳はいい。
おそらく猫にとっては、
言葉としてではなく、ひとまとまりの現象として、これを受け取っている。
毎朝、同じ顔が来て、
同じ高さとリズムで「おはよう」という音が降りてくる。
時間も、ほとんど変わらない。
それが繰り返されることで、
私はもう、その一連の出来事ごと、
ひとつの存在として認識されているのだと思う。
本来、成猫同士はあまり鳴かない。
匂い、視線、体の向き、
しっぽや耳の動き。
そうした無音の信号で、やり取りが成立する。
それなのに、あの猫は私に対して「にゃ」と鳴いた。
つまりそれは、
猫のままではなく、
人に向けた振る舞いを選んでいるということだ。
それからというもの、
毎朝、挨拶を返してくれるようになった。
短く、素っ気なく。
「またお前か」とでも言うように。
題 特別な存在
3/23/2026, 2:41:10 PM