どこかにいるかもしれない高校生

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「たそがれ」

私が1日の時間の中で最も好きと言って過言ではないのが、黄昏時だ。
燃えるような夕焼けから、段々と静かな夜に変わっていく様子は、終わりの前の、最後の足掻きのように感じる。

ある日部活が終わって昇降口を出たとき、思わず「あっ」と声が出るほど美しい夕焼け空が広がっていた。
周りのみんなもきれいだと思うのは同じだったようで、「きれい」と口々に言いながらスマホを取り出して写真を撮っていた。
私もこの景色を切り取りたいと思って真似して撮ってみたけれど、なんだか違うような気がした。
写真も確かにきれいだったのだけれど、私が美しいと思った夕焼け空ではないような、そんな気がした。

写真は嫌いではないし、美しいと思う写真にも何枚も出会った。
けれど、撮影した人が感動して、シャッターを切ろうと思ったその瞬間は、もっと美しかったのだろうなあと思ってしまう。
もしかしたら、レタッチする前は、私が写真で見るのとは違った景色が広がっていたんじゃないか、と。

テレビのCMを見ていたとき、「AIが笑顔にしてくれる」「半眼をなおしてくれる」「被写体の大きさを変えられる」「背景を変えられる」と謳っているスマホを見て、写真ってなんのためにあるんだっけ、と考えてしまった。
笑顔じゃないのも、半眼なのも、被写体の大きさも、背景も、全部込みで切り取りたかった瞬間だったのではないのだろうか。

最近は黄昏時に外にいることが少ない。
「おいで、夕焼けがきれいだよ」と雨戸を閉める前にわざわざ私を呼んでくれた母は、今では夕焼けが見える時間に帰ると「もっと勉強してきなさい」と言う。
今度の休日は、窓から外を見てみようかな、と思ったけれど、多分次の休日はずっと先だ。

10/1/2024, 11:31:49 AM