七星

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『星明かり』

 突飛な発想は吐きそうなほど湧いてくるのに、その中のどれ一つとして形にできない自分が、時々嫌になる。
 例えば、四ヶ月前のこと。いつもつるんでいる長沢創と一緒に、俺は駅前の居酒屋で飲んでいた。その時、奴の口から出た言葉に俺は打ちのめされたのだ。

「僕は平凡な男だ。名前以外は、他の人たちと何も変わらないんだ。そう思っていないと、自分が壊れてしまう。これは妄想でも何でもない。確信だ」
 いつもの弱気な態度とは打って変わって、長沢は強い確信に満ちた口調で言う。俺は芋焼酎をちびちびと舐めながら、尋ね返した。
「お前、本当にそんなこと思ってるのか?」
「もちろん」
 当然のことだと言わんばかりに、長沢は答えた。その口調と表情に微かな自信が覗いたように感じられ、俺は少しだけイラッとした。

「そんなんじゃ、業界では生き残っていけないんじゃないのか? 自分が平凡だなんて思ってる時点で、他の自信に溢れた連中には一歩遅れを取ってる」
「そういうものなのかな……」
 自信なさげな態度が僅かに戻ったように、長沢は眉尻を下げ、小首を傾げた。こいつは根の部分では全く変わっていない。そのことに気づいた俺は、気分をよくした。
「まあ、そんな顔するなって。せっかく受賞したんだ。盛大にお祝いしよう」
 俺たちは再び乾杯した。ガラスのコップが軽くぶつかり合う、気持ちのよい音がした。

 その日の帰り。ほどよく酔っ払った俺と長沢は、駅前広場のベンチに座り、空を仰いだ。都会は星が見えない、などとよく言われるが、この駅前広場からは夜空が綺麗に見える。

「本当だ」
 唐突に長沢が言った。俺はぼんやりし始めた意識の中で、何となく返事をした。へぇ、とも、ふぇ、とも聞き取れるような微妙な声が出た。
「津久井が言った通りだよ。この星空は銀河の果てみたいだ。綺麗な色をしている」
 広場の薄暗い照明と微かな星明かりだけでは、長沢の表情はぼんやりとしか見えない。しかし長沢の口調は生き生きとしていて、心から感動していることが感じられた。

 こいつ、見かけ以上に酔っ払っているんだろうか。ちょっとだけ心配になりながら、俺は尋ねる。
「俺、そんなこと言ったっけ?」
「覚えてないの?」
 俺は何も覚えていない。考え込んでしまった俺に、長沢は興奮した口調のままで話し出した。
「去年、二人で飲みに行った時、津久井が言ったんだよ。銀河の果ては、終着駅で見上げた星空みたいなイメージだって。世界の果てみたいに綺麗な場所だって」
「おいおい。そんな支離滅裂なこと言われたって、わからないよ」

 必死になって頭を働かせながら、俺は少しだけ思い出し始めていた。いつもの駅を乗り過ごしてしまい、終着駅で見上げた星空のことを。
「津久井が教えてくれたんだよ。僕の脚本に必要だったものを。あの時、津久井に付き合って飲みに行かなければ、あの脚本が完成することはなかったんだ。コンクールで受賞できたのは全部、津久井のお陰なんだよ」
 早口で淀みなく話し続ける長沢の声を聞きながら、俺はいつの間にか、涙を流していた。

 俺が酒の席で何となく話したエピソードや言葉を、長沢はきちんと記憶していて、脚本という一つの形に落とし込んだ。つまらない会話の切れ端を、美しい形に昇華させたのだ。
 星空の果ては綺麗。
 長沢が書いた脚本のタイトルを、頭の中で繰り返す。駄弁るだけで、何一つとして生み出すことのなかった自分の無能を打ち消すように、何度も何度も繰り返す。

 平凡なのは俺の方だ。
 確信に近い思いが湧いてきた。
「長沢」
 俺は涙声のまま、隣にいる脚本家志望の男に言った。
「お前は平凡なんかじゃないよ」
 長沢は下の名前で呼ばれるのを嫌がる。そのことを知った上で、俺は長沢に伝えようと思った。
「ナガサワ・アートの名を、堂々と世界中に轟かせてやればいいんだ。お前ならできる」

 こんな話をしたことなど、無能な俺はすぐに忘れてしまうだろう。しかし、長沢は違う。つまらない会話であっても必ず自分の血肉にできる男だ。
 星明かりの中、俺は長沢に笑いかけた。長沢は、少し困ったように頷いた。


 
 

4/20/2025, 2:05:39 PM