杢田雲

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理想のあなたは、と問われると返答に詰まる。
私の理想は常に他者であり、理想と言うならば他者に成り替わることになってしまうからだ。
そんなことを望んではいない。

「ねえ、お皿洗っといて」
「自分でやってよ」
かつて私の理想の人間であった四つ年上の姉は、仕事に忙殺されて自堕落を地で行く性格に変貌を遂げてしまった。
キッチンでフォークにスポンジを滑らしていると、姉はおもむろに話しかけてきた。
「これあげる」
薄々、予感というか期待をしていた。今日は私の誕生日なのだ。
「ありがと。でも今は手が濡れてるから」
後にしてくれ、と言うつもりだったのに。
「代わりに開けてあげるね。まあ私が包んだんだけど」
姉は断りもなく包装紙をバリバリと破き始めた。
「何だと思う〜?」
「本?」
「当たり!」
皿を洗う手は止まってしまっているが、蛇口からは水がざあざあと出続けている。
それを、きゅ、と締めて手を拭き向き直る。
これはただの本ではない、という感じがしていた。
「今日古書店街に行ったんだけど、ショーウィンドウに飾られててさ。めっちゃ高かったけど喜ぶかなぁと思って。いらなかったらまた売っていいよ」
そう言って差し出されたのは未開封のフランス装の古書だった。
「え? 私がそれ探してるって言ったことあったっけ?」
感謝よりも先に驚きが出る。
「卒論に書いてたじゃん、この文献があればもう少し深掘りできたかもって」
「読んだの?」
「読んだよ〜」
姉は何でもないことのように言うが、私は嬉しいような恥ずかしいような気持ちで顔が上げられなかった。
「あ、ありがと」
「うん。お誕生日おめでとね」
姉はひらひらと手を振って自室に引っ込んだ。
残された私は小学生の時に書いた作文を思い出していた。

「いつも明るくて優しい、お姉ちゃんみたいな人になりたいです」

5/20/2023, 8:09:59 PM