ありす。

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ふと思ったことがある。

まだ肌寒く、マフラー、手袋を完璧に装備して私は自動車学校の扉をくぐった。
卒業したというのに学校の制服を見にまとい、机で勉強をする人もいれば友達とのお喋りに花を咲かせる人もいる。

私は後者だった。

「紹介しよう3年間同じクラスだったーーちゃん」

中学からの腐れ縁の親友は、ドヤ顔で私にその子を紹介して
きた。
当時の私は少々人見知りもあり、彼女の顔をよく見れなかったことをよく覚えている。

「よろしく」
「あ、よろしく....」

差し出された手をぎこちなく繋ぐ。
その手は体温が高い私からすればひんやりと冷たく心地がいいものだった。

「次の授業ってさ実技?」
「あ..。私はこの間来てないから筆記かも...」
「私はこの間、高速走らされた!怖ったし震えたよ」

私よりもひと足早く筆記が終わっている2人は、もう実技を教えてもらっているようだ。

「そろそろ先生と集合だからもう行くね」

親友は、そそくさと荷物をまとめると私と彼女をおいて走っていく。

この空間。
気まずい空気が右から左へ流れていく。
人見知りに今日、知り合ったばかりの人といる空間は難易度が高い。

「「あの…」」

一瞬で空気が凍る。
どちらともなく発した声は次の言葉を紡ぐことはない。
彼女も私と同じ気持ちで言葉を発したのだとしたら…今、内心焦ってるに違いない。

はやく何か言わなければと思えば思うほど言葉が出ない。
喉が重くなる気さえしている。

長いと思っていた時間もそんな長くなかったようで彼女は「じ、じゃ…行くね」と言葉残して階段を降りて行った。

こうして私と彼女の出会いは最悪な形で幕を閉じた。
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ふと思い出したことがある。
叶わない夢が夢のままで終わりを告げようとしていた時のことだ。

生きながら死んでいる。

この言葉が似合う100年ある時間の中のほんの一瞬の出来事。

4年勤めていた美容販売を辞めて、重い足取りで登録した派遣会社。その紹介で入ったパチ屋。

思ったより騒がしくない店内。
毎日見るおばあちゃんも居れば開店から閉店まで、入り浸っている人も居る。

毎日決まった時間。
決まった仕事内容。
何も変わらない。
時間がくれば電車に揺られて帰る毎日だ。

「生きながら死んでいる」

この言葉はこんな時に使うんだろうな。

「これ」

「少々お待ち下さい」

いつも通り会員カードを受け取り機械に挿入する。

「あれ?ねぇ…!」

お客さんの焦った声で私は画面から目を離した。

「んっ?えっ!」

目の前にいるお客さんと目が合う。

彼女だ。

4年前の車校の時とわからない。
何ひとつ変わっていない。
彼女がそこにいた。

機械から次の入力を促す音が出ていたが、そんなものも私と彼女の前では雑音やBGMにすぎない。

「「あの…!」」

あの日の最悪な出会いを思い出した。
気まずい雰囲気の中、一瞬で終わった出会い。
人生の中で出会って接点を持つ人が3万人だとしたら、彼女はその中の一瞬話しただけの人にしかすぎない。

でもあの時とは何かが違う。
彼女も私と同じ気持ちで言葉を発したのだとしたら…

「もうすぐ仕事が終わるんだけど…」
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ふと思い出したことがある。

叶わないと思っていた夢が人生の目標になった時のことだ。
お互い一生フリーターで過ごすかもしれない。
お金をドブに捨てるかもしれない。
そんな覚悟をかけた夢を目標にした時のことだ。

どちらからともなく漠然とした夢を語った。

「親に反対されてさ…正社員で働いているけど…やっぱりなりたいと…思っちゃったんだ」

「その気持ちわかる。私も働いているけど…ふと思うんだ。なんで私は今、この場にいるんだろうって。生きるために働いているの?だとしたらこれは生きながら死んでいるのと同じだって…」

「もう遅いかもしれない。でも後に後悔するくらいならやり切って後悔したいんだ」

彼女の言葉は私にとっては本と同じだった。
知らない世界を…気持ちを教えてくれる。
彼女は私の人生の本の1ページをまた開けてくれた。
ぼろぼろの栞が挟まれていた…止まっていた日々の1ページを。

「じゃ、一緒に叶えよう」

「えっ!」

彼女は分かりやすく驚いた声をあげた。
それはそうだろう。
4年前に1回だけ喋って気まずいまま別れた人に、そんな事を言われてもびっくりしてしまうだけだ。

「ご、ごめんね。急にこんなこと言われても…こ、困るよね〜」

「ううん。叶えよう」

彼女から差し出された手を私はあの日と同じように見つめた。

「「よろしく」」

その手は、いつの間にか過ぎ去っていったあの日と同じようにひんやりと冷たく心地よかった。

3/10/2024, 9:30:17 AM