「渡り鳥の旅」
「今夜、何としても山を越えるぞ」
数時間におよぶ参謀会議の末、リーダーのタングは重々しく言葉を吐き出した。
これまでの長旅で仲間たちの疲労は積もりに積もっていた。
しかし、明日からは天候が崩れそうだ。今日を逃すと数日間
の待機を余儀なくさせる。冬の寒さがくる前に目的の地に辿り着くためには今日しかない。
伝達係のムファが仲間たちを集めて宣言した。
「今夜、山越えを実行する。それまでゆっくり休み体力を回復してくれ」
仲間たちにどよめきの声が湧き上がる。
今年産まれたばかりの3羽の兄弟たちが口々に話し出す。
「やった〜、早く行きたい!今日のためにいっぱい飛ぶ練習をしてきたんだ」
「一番高く飛べるのは僕だよ」
「あんなに高く飛べるかな。こわいよ。僕一人だけ置いていかれたらどうしよう」
興奮している2人の兄弟を後目に、産まれた時から体が小さい末っ子のミカキが泣き言を言う。
母親は3羽を集めて話して聞かせる。
「私たちのリーダーは優秀なの。リーダーの指示に従って群れから離れることがなければ大丈夫よ。絶対に群れから離れてはだめよ。さあ、出発まで休みましょう」
タングも仲間の輪に入り休もうとした。しかし、気分が高揚して目を閉じても眠ることができない。目の前にそびえ立つ猛々しい山々を見上げる。
言葉通り今夜が『山場』だ。みんなの体力を考えると短時間で一気に渡り切らなければならない。優秀な参謀たちと隊列も段取りも綿密に計画をたてた。「大丈夫だ」タングは自分に言い聞かせた。
日が沈みあたりが暗くなった。風もなく静かな夜だ。
まずタングが飛び立つ。それを合図に仲間たちが後に続く。
壁のような山々がどんどん近づいてくる。山越えがはじまった。
高度が増していく。突然横から強い風が吹く。風に煽られ体勢を崩すものがいる。「出来るだけ山肌に沿って飛ぶんだ!決して群れから離れるな!」
随分飛んできた。仲間たちの疲労もピークに達しているはずだ。だが、再び飛び立つには何倍もの体力が必要だ。飛び続けるしかない。「がんばれ!大丈夫、飛び続けるんだ!」声を張り上げ仲間たちを励ます。
目の前から壁がなくなり、真っ暗な空間が広がる。ついに山頂を越えた。必死で飛んできたミカキも周りを見渡す。星空の中にいるようだ。はじめての眺めに感嘆の声をあげる。今までに見たことのない景色だ。
タングは仲間たちの顔を見ながら言う。
「私たちほど高く飛べるものはいない。みんなよく頑張った。降りも気を引き締めて飛ぼう」
高さ8000メートル、時間にして8時間。
全員無事に山を越えることができた。
疲弊した体を休め、食事を摂る。
誰一人脱落することなく山を越えることができた。
なんとかリーダーの責務を果たせたとタングは安堵する。
これからまだ数千㎞の旅は続く。ただ今だけは何も考えず深い眠りにつきたい。
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お題:束の間の休息
インドガンは繁殖地のモンゴルやチベットから越冬地のインドへ渡りをします。その際、8000mのヒマラヤ山脈を越えて行きます。世界で最も高く飛ぶ鳥と言われています。
10/9/2024, 3:05:59 AM