なぁ知ってるか?
ささやく人の声が、すれ違いざまに鼓膜を撫でる。少し距離があいた頃にどよめきとざわめきが場を揺らす。
なにそれすげーじゃん!
めっちゃいい!
え、でもマジなの?
やばくね?
行ってみようぜ!
増す一方のボリューム。楽しそうで何より。その様は若者の特権だから。
話の内容は何となく察しがつく。まことしやかに広まった、夢みたいな条件の求人の話だろう。そこで働く人の紹介以外では応募することが出来ないという特殊な条件のもと、破格の給金でありながら仕事内容はある屋敷に住むだけ、というもの。立地は僻地でありながら、娯楽にもさして事欠かない。自然豊かなアクティビティに、最新の電子機器の類も揃っている。居心地が良過ぎて、行ったやつはまず帰って来ない。夢みたいな話だよな。
だけどまぁ、普通に考えてみようか若者たち。
誰も帰って来ない。本当に?どんなに快適に設えた場所であっても、誰一人帰らないなんてことがあると思うか?
もし仮に誰一人去らないのであれば、求人が出続ける理由は?
人づてにしか辿り着けない、正規のルートで求人が出ないのはどうして?
夢のような生活に憧れる気持ちもよく分かるが、起きながらにして夢の中にいるのは、あんまりいい気分じゃないぜ。
独り言のように頭の中で考える。彼らがまやかしの夢に飲まれないように祈りながら。その間も体は勝手にどこかへ向かう。
今やこの体の全ては俺の意思のもとにない。脳に埋め込まれたチップから出る電子信号が全ての権利を奪ってしまった。意識だけはぼんやりあったりなかったり。感覚的には夢を見ている時や、金縛りのそれに近いような気がする。
なぁ知ってるか?若者たち。まばゆい理想はきっと、雪のように儚く脆いんだ。
〉理想郷
11/1/2022, 3:25:07 AM