NoName

Open App

窓越しに見えるのは



俺は野良猫っす。
名前は、そっすねー、道行く人間たちに色んな名前で呼ばれてるっすけど、俺はボスの一番の舎弟なんで舎弟って呼んで欲しいっす。

俺には尊敬するボスがいるっす。
ボスは子猫の頃から立派な雄の野良として縄張り争いに明け暮れる日々を送り、季節が三回巡った頃には、ここら一帯を牛耳るボス猫になったっす。 すごいっすよね!

今思うとボスと出会い、共に過ごした日々は楽しいながらも厳しい日々だったっす。
肥え太った他所のボス猫に立ち向かい、群れで襲ってきた余所者を纏めて返り討ちにし、人間の子供には揉みくちゃにされ、若い人間の雌たちにはチュールを片手に骨抜きになるまで撫で回され、網と籠を手に持った人間たちとは雄の尊厳を賭けた壮絶な鬼ごっこをしてと波瀾万丈な日々を送って来たっす。

そんな厳しい野良の世界を生き抜いたボスにも等々春がやって来たっす。

お相手は縄張りの巡回ルートにある大きなお屋敷で飼われている血統書付きの白い毛長種の可愛いお嬢さん、ではなく、その飼い主さんの方っす。

驚くのも無理ないっすよ。
俺だって最初は耳を疑ったっすもん。
でも今までどんな雌にアプローチされても見向きもせず、そのせいで色々と不名誉な噂を囁かれて来たボスがついに番にしたいと思えた運命の雌と出会えたんっす。

「だからお嬢さんもボスの恋を応援してもらえないっすかね?」

「するわけないじゃん、バーカ」

お嬢さんは優雅に毛繕いをしながら言った。

「この苦労知らずの箱入り小娘、窓越しでこっちが手を出せないからって舐め腐った態度を取りやがって」

これだからお高い飼い猫は嫌いだ。

「でも俺はめげないっすよ! ボスはもう三年生きてるっす! 野良の世界じゃ、そろそろあの世に片足突っ込む年齢なんっすよ! ちょっとだけ! ちょっとだけボスがここに来た時に飼い主さんを連れて来たり、他の部屋へ行かないように足止めしてくれればいいんすよ!」

俺は前足を窓に押し付けながら必死に訴えかけた。

お嬢さんが未知の何かを見たような表情で後退り始めたがここでこの部屋から逃す訳にはいかないっす。

「三年も生きて色恋沙汰経験皆無! いい年したおっさんがっすよ!? せっかく野良にしては綺麗な面持ってんのに同種に恋愛感情持てないせいでその面も無意味っす! どーすんすか! ボスから面の良さ取ったら一体何が残るって言うんすか!!」

「せめて実力は残してあげなさいよ」

「あら、賑やかね? お友達でも来てるのかしら?」

ドアが開き飼い主さんが部屋に入って来た。

お嬢さんがすぐさま飼い主さんの元へ行き甘えた鳴き声を出しながら足に頭を擦り付けた。

「毎日来てくれる黒猫ちゃんかと思ったんだけど、初めて見る子だったわ。 可愛い斑模様ちゃんね」

そう言いながら飼い主さんは窓の近くまで来ると、窓を開け、俺を抱きかかえた。

「えっ……?」

「あぁー!! ご主人様! あたし以外の猫を抱っこするなんて浮気だわ! 早くそいつを外に投げ捨てて! あんたも早くご主人様から降りなさいよー!!」

お嬢さんが俺を睨みながら鳴き叫ぶが飼い主さんは笑うだけで俺を下ろそうとしない。 むしろ俺の体をあちこち撫で回しながらジロジロと見始めた。

「痩せ気味ね、お腹空いてたからあんなに鳴いてたのかしら? あら? この子雄だったのね」

「あんたご主人様に何見せてんのよ!!」

「不可抗力っす……」

そろそろ怒り狂ったお嬢さんが飼い主さんの体をよじ登ってでも俺を排除しようとして来そうなので、飼い主さんの腕から抜け出してお暇を、としたその時だった。

「待っててね、今ご飯用意してあげる」

飼い主さんが俺を抱いたまま窓を閉め、ご丁寧に鍵まで掛けてしまった。

「……ご飯、ご馳走になるっす」

「あんた、ご主人様が部屋から出て行ったら覚悟しなさい」

その後、飯の準備のため一旦床に降ろされた俺は、お嬢さんに睨まれ続け、飼い主さんが持って来た飯を食べてる最中もずっと睨まれ続けた。

誰っすか、お嬢さんを苦労知らずの箱入り小娘とか言ったやつは、こいつはそんなか弱い雌じゃねーっす、檻の中の猛獣っすよ。

「綺麗に食べたわね、そんなに美味しかった?」

おたくのお嬢さんが怖過ぎて味を感じる余裕が無かったっす。

「さっさと帰りなさいよ」

「帰りたくっても窓が開かないと帰れないんすよ」

早く窓開けてくれないっすかね、と窓の方に目線を向けると、そこには雀を咥えながら縄張りに侵入して来た不届きものを見るような目でこちらを凝視するボスが……ボス!?

「何で雀を咥えているわけ?」

「たぶん、飼い主さんへの貢ぎ物っすかね……」

この前ネズミ貢いだら怖がられたって落ち込みながら帰って来たばかりじゃないっすか。 

俺言いましたよね? 人間は俺たちと違って食べ物に困ってないから、貢ぐならもっとこう、可愛い物にしろって。

「何でお前がそこいる」

今まで聞いて来た中で一番ドスの効いた声だった。

「やばいっす。 めっちゃキレてるっす」

「ご主人様ぁ〜、こいつ今すぐ帰りたいってぇ〜」

「俺に死ねと!?」

飼い主さんの元へ行くお嬢さんの後を追う。
足元でにゃーにゃー鳴き続ける俺とお嬢さんの姿を見た飼い主さんが、俺だけを抱き上げ、子猫を見る母猫のような笑みを浮かべながら恐ろしい事を言い出した。

「本当にこの子と仲良しね、うちにお婿さんに来る?」

7/1/2024, 7:52:21 PM