𝓼𝓾𝔃𝓾𝓴𝓪𝔃𝓮

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その人はとても綺麗な人だった。

顔の造作は決して派手ではないが、目鼻立ちがスッキリ整っていて、綺麗な人特有のキツさを卵型の輪郭が絶妙なバランスで緩和させていた。

手足がほっそりとしていてどこかお人形さんを思わせる風貌だ。

背はおそらく155cmに満たないくらい。

165cmの私に比べると若干目線の位置が下にくる。

肩下で揺れる黒髪が上品さを醸し出しつつ、口元にはいつも柔らかな笑みを讃えていた。


最初に断っておくがこの話自体大分昔のものである。

今回これを書くにあたり、私の頭の中の古ぼけた記憶を無理やり引っ張り出そうとしているせいで、どこにどう着地するのかすら分からない。


しかし、鏡というお題においては最適解だと思うのでこのまま話を進めていこうと思う。


その人とは、ほんの一時、とあるグループの中の一人として同じ時間を過ごしたに過ぎない。

期間にしておよそひと月足らずだったと思う。

別段付き合いらしい付き合いがあった訳でもなく、名前を名乗り合った記憶すらない。

しかし、こうして物語の題材となる程度には私の中で印象的な出来事として今も記憶に残っている。


仮にその人のことをUと呼ぶことにしよう。

Uとは、某運送会社の倉庫でお歳暮時期限定の仕分け作業のバイト仲間として出会った。

会社に指定された時間に指定された場所で待っていると、専用のバスがやってくる。

それにその他大勢の人たちと乗り込み30分ほど揺られると、海を埋め立てて作られた埠頭に建つ、巨大なコンクリートの建物群が現れる。

そこには何の飾り気もない灰色の箱がいくつも点在している。

無彩色の世界とでも言おうか。

そこはこの世の色という色が徹底的に排除された一種異様な世界だった。

一切無駄がなく、ただただ何かの目的を果たすためだけに作られた様々な箱たち。

余りに現実とはかけ離れたその光景に私は少し恐怖を覚えた。

そんな無機質な箱の一つが私の作業場だ。


年齢もはっきりとは覚えていないが、確かUの方が私よりも幾つか年上だったと思う。

訳あって、その頃の私は定職についておらず、割のいいバイトをいくつか掛け持ちして食い繋ぐような生活を送っていた。

法律にこそ触れないものの、人には言えないような際どい仕事をしていたこともある。

正直、暮らしぶりは余りまともではなかった。

別れたり戻ったりを繰り返すような彼氏とも呼べない男の後ろにくっ付いて、朝からパチンコ屋に出入りするような安っぽい女。

それが私だった。


当時の私はかなりの人見知りで、警戒心も強く、ぶっきらぼうなところがあった。

自分でも可愛くない女だったと思う。

一方、Uは私とは違い、穏やかで優しい雰囲気が全身から滲み出ているような女の子だった。

誰の目から見ても感じのいい子に映っていたことだろう。


倉庫の中は高低差のある巨大迷路の如くベルトコンベアが配置されていて、迷路の出口にあたる部分で待っていると、次々バラの包装紙に包まれた大小様々な箱が運ばれてくる。

私はその箱の一つ一つを手に取り、キャスターの付いた鉄製の大きなラックの中に収めていくのだ。

「重くて大きな物は下に、上にいくにつれ軽く小さいものになるように。」

担当の社員さんにはそう教わった。

最初こそ手間取って何度かレーンを停めてしまったものの、数をこなすうちに段々とコツが掴めてくる。

あの色々な形が上から落ちてくるゲームの要領でどんどん隙間を埋めていけばいいのだ。

一度だけ手を滑らせ、日本酒の一升瓶が二本入っている箱をベルトコンベアから落としてしまったことがある。

ガツンと鈍い音を立てて落ちたそれは、見る間に緑色の床に透明な水溜まりを作っていった。

とっさのこととは言え、よりによってなぜそんな大層な物を落としてしまったのだろうと悔やんだが、得てしてミスとはそういうものなのかもしれない。

保険に入っているから大丈夫とのことで特にお咎めもなかったが、やはり気分は晴れなかった。

しかし、失敗という失敗はそれくらいだった。

私の担当する練馬区関町北のラックは、見る見るうちにバラの包装紙で包まれた贈答品で埋め尽くされていった。

「あんた上手いわね。なかなか筋がいいわよ。」

時折見回りの社員さんに褒められるようになった。

「ありがとうございます。」

私は照れながらも礼を言った。

愛想こそ良くはないが仕事ぶりが評価され始め、一週間ほど経つとそれなりの人間関係を築けるようになっていた。

Uとは担当地域が違うため一緒に仕事をしたことはないが、私の三列先がUの担当地域だった。

「ほらほら、ちゃんと見ないと!まったくもー、何度言ったら分かるの!」

時折、Uのいる西大泉方面からそんな声が聞こえていた。

私は自分にはどうにも出来ないもどかしさを感じつつも、目の前の箱の処理に追われていた。


その日、何度目かの「ほらほら」の後だった。

ちらりとそちらの方向を見ると、Uが現場から走り去っていくのが見えた。


キュイーーーン
ガタンッ!!


金属が擦れたような嫌な音がして、西大泉のベルトコンベアがゆっくりと止まった。

Uの手によって緊急停止ボタンが押されたのだ。



Uと顔を合わせるのは基本的にお昼休憩の時だけだった。


倉庫内には広い食堂があり、何となく歳の近い女子4人ほどのグループでお昼を食べるのが通例になっていた。

しかし、私も含め、ここにいる人たちは皆寡黙で、自ら積極的にコミュニケーションを取ろうとする人はいなかった。

おそらく、その頃皆それぞれに事情を抱えていたのだろう。

私と他の二人がコンビニ袋を手に食堂に集まる中、Uだけはいつも手作りのお弁当を持参していた。

それは驚くほど小さなお弁当だった。

Uはその小さなお弁当箱の中からパール大のご飯粒を箸でつまみ口に運んだ。

それをゆっくり咀嚼し飲み下したあと、一旦箸を置く。

手元には小さな手鏡が置かれている。

慣れた手つきで左手で持つと、丹念に口元を確認し始めた。

何度も何度も角度を変えては口元を見ているようだ。

もちろん口元には何も付いていない。

今度は鏡を見ながら右手に持った白いハンカチで口元を拭い始めた。

これも右の端、左の端と繰り返し何度も何度も丁寧に拭っている。


パール大のご飯粒→咀嚼→手鏡→ハンカチ

これが食事の間中繰り返されるのだ。

私は初めてその光景を見た時ギョッとしてしまった。

しかし、Uにとってはそれは当たり前の行動なのだろう。

周りの目など一切気にしない様子で一連の流れをやってのけた。

最初こそ、歯の矯正中なのかな?と思ったりもしたがそうではなかった。

むしろ矯正ならどんなに良かったことだろう。


当然と言うべきか、あとの二人も私と同じような反応だった。

しかし、そのことを改めて話したことはない。


西大泉のベルトコンベアが度々止まるようになってから、Uの鏡での確認作業は一層激しくなっていった。


それからしばらくして、Uの姿が消えた。



お題

8/18/2024, 2:13:47 PM