かたいなか

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「寝て起きて、『君の奏でる音楽』のお題でまともに読めるネタが閃けば、書き直すと言ったな。あれは結局無理だった」
まぁ知ってた。某所在住物書きは己の執筆スキルとレベルを再認識し、エモネタの不得意を痛感した。
「で、『心の健康』ねぇ。4月24日か23日あたりに、『今日の心模様』みたいなお題があって、その時もロクなネタが浮かばなかったな」

ガッチガチのエモネタを書こうとすれば厨二チックに羞恥が勝り、ノンエモで挑もうとすればそもそもネタが浮かばない。
さじ加減の、なんと面倒なことか。物書きは大きなため息を吐き、ひとまず今回分をなんとか書き上げた。

――――――

「藤森、ふじもり!これがお前の故郷か!」
コロナ禍突入直前。2019年のお盆のおはなし。
雪国の田舎出身という捻くれ者、藤森の里帰りに、「雪国の夏を見てみたい」と、親友が無理矢理くっついてゆきました。
「建物が低い!空が広い!風が涼しい!」
東京育ちの親友は、名前を宇曽野と言いまして、観光地という観光地でもない地方の田舎に来るのは、これが初めて。
「なにより、こんなに人も、車も少ない!」
アニメでしか見ないような空き地、そこらじゅうに生える花と山菜、それから遠く広がる田園風景。
宇曽野はそれらがただ美しく見えて、藤森の手をぐいぐいと、あっちこっち、そっちどっち。

「手を取り合って」なんて優しいものじゃありません。さながらリードを持った飼い主を引っ張るアラスカンマラミュートかシベリアンハスキーです。
「おい藤森!田んぼの中に、紫の花が咲いてるぞ。なんだアレは?!」
ぐいぐいぐい、ぐいぐいぐい。
青い空、白い雲、東京より少し涼しい田舎の田んぼ。
軽トラック1.5台通れるであろう砂利道を、宇曽野はまるで子どものように、藤森の手を引き走ってゆきました。

「雑草の多いあの区画だけ、紫が咲いてる。白も咲いてる!藤森、これは何だ」
「白い方なら、東京でも見られる筈だ。オモダカといって田んぼとか水辺とか、湿ったところに生える」
「見たことないぞ」
「『筈だ』と言った。なにより私は不勉強の素人、専門外だぞ。鵜呑みにするな」
「で、紫は?」
「ミズアオイ。記憶が正しければ準絶滅危惧種に指定されていて、東京では絶滅危惧Ⅰ類。花言葉は『前途洋々』や『浮沈』等。食えるらしい」

「味は」
「知らない。食べたことがない」
「美味いのか」
「私より自分の持ってるスマホに聞いたらどうだ?」
「お前に聞いた方が面白いし早い」

パシャパシャパシャ。
これは珍しい花、それは美しい風景、あれは尊い昔在りし日本。
「異文化適応曲線」の、「ハネムーン期」というものがあります。宇曽野はまさしくその真っ只中。
東京と明らかに時間の進み方が違う田舎の、すべてにスマホのカメラを向けました。

「美しいな。心の不健康が抜けてくようだ」
「私はお前に付き合って、体の疲労が蓄積中だが?」

「お前も撮ってやる」
「やめろ。いらない。ミズアオイで満足していろ」

赤い太陽が地平に沈み、空がミズアオイかキキョウの青紫に染まって、田舎観光満喫中の都民が「さむい」と我に返るまで、
東京育ちの宇曽野と田舎出身の藤森は、
片や魂の疲労と心の健康を体いっぱい使って癒やし、
片や全力の遊びと観光に付き合って、体に疲労がちょっとだけ、ほんのちょっとだけ溜まったようでありました。

8/14/2023, 5:09:25 AM