梅雨
私は嘗て、いいえ、もっと小さかった頃から「雨」という名で呼ばれておりました。これは本名ではなく、私のあだ名です。本当の名前は、浅上友介(あさがみゆうすけ)と云います。
かつて幼子だった頃の私にとって、「ああ、少し太陽の光を浴びようか」と云い、田圃へふらっと足を運ぶことも容易いことではありません。ふと軽い気持ちで、玄関の扉を開けた次には、太陽が雲を覆い、雨が降るからです。比喩ではなく、本当に降るのですから、困った、とひとしきりに括れるほど面倒なものは無く、頬を伝って、雨の粒が顔に濡れる度、私は本当に小さい雨男なのだと実感しました。──と云っても、私は生粋の田舎者でして、朝起きて、山があり、田圃があり、近くに行けば川があるのが当たり前、との環境で育ってきました。なので、雨が降っても特に支障はありません。気候を逆さにしても、次の日には、近所のお年寄りに礼や菓子を貰える事もあります。けれど、下校中、手に菓子を持った私を見て、おちゃらけた男の一人が云いました。
“お前は雨の子だ”、と。
その瞬間、私の見えない所で幾つもの歯車が周りだし、私の運命は決まりました。幼少期特有の言葉遊びというのか、要はやることがないのです。先程申した通り、田舎で何もすることがなく、暇だったのでしょう。とんだ悪友です。ああ、いや、かくゆう私もその1人です。こうして、昼間っから一人で、誰に渡すのかも分からない手紙を書いているのですから。
とはいえ、私にとっては、名前で呼ばれるのも又珍しいことでありました。母でさえ、私の事を「雨ちゃん」呼ぶのです。「私は浅上友介ではなく、浅上雨なのではないか」
と云うと、父は笑ったものです。
今となっては、誰が付けたのかは分からない、雨と云う名前。雨、雨、と何度も呼ばれる内に、私の名前は雨なのかと錯覚し始めて、私は名付けの親である彼に、なぜ雨なのか問いました。
「お前のゆく場所に雨が降るからだよ、分かるだろうて」
と、さも当たり前かのように答えるのでした。
6/1/2024, 1:03:21 PM