これは夢だな、と思いながら歩いていた。真っ暗な洞窟を、灯りもなしにスタスタ歩いている時点でおかしい。自分の鼻先さえも定かではない暗闇で、躓くことも迷うこともなく進んで行けるということは、間違いなく夢だろう。恐怖も戸惑いも感じないのも、その仮説を補強する材料となった。
問題は、なぜこんな夢を見ているのかということだ。「夢」「暗闇」「洞窟」で検索したいところだが、あいにく手元にスマホはない。手ぶらで歩いているのだ。気を紛らわすために何か独り言でも呟こうかと思ったが、喉が閉じていて一言も発することができなかった。ただ黙々と早足で、何も見えない洞窟を進んでいく。どうやら、コントロール不能のようだ。
土の地面を踏みしめながら考える。どこに向かっているのだろう。常識的に考えれば出口に他ならないが、この急ぎようはちょっと異常だ。
もしかして、何かから逃げているのか。今のところ、何の気配も足音もしないが、そういったものをすべて消して獲物に近づける生き物だっているかもしれない。何せ、これは夢なのだから、現実世界にいないものがいてもおかしくない。
そいつは夜目がきき、肉食で、無防備に歩く背中を狙っていて、めったに通らない獲物を捕食しようとしているのかもしれない。今にも背後から襲ってくるかもしれない。
そう考えると、背中に悪寒が走った。
そんなわけない。だってこれは夢だから。都合の悪いことは全部弾かれるはずだ。
とにかく、早く、早くここから出よう。気ばかり焦るが、一向に足は早まらず、平常心のような顔をして歩くだけだ。
何なんだ、この夢は。自分はどこへ向かっているのだ。出口なのか。だとしたらいつ、たどり着くのか。
と、何やら人の声が聞こえた。小さくぼそぼそと話している。ということは、二人以上の人間がいるのか。
助かった、そちらへ向かおう、と考えた瞬間、体が、ぐんっと加速した。足音もたてずに走っている。
なぜいきなり走りだしたのか自分でもわからない。どうやら、何らかの衝動にかられているらしいが、それすらも判然としない。
走るうち、人の声が近づいてきた。声音からして、まだ子供のようだ。男の子と女の子か。そしてついに、子供たちの真後ろに到達した。そのとき、自分が標準的な人間のサイズを大幅に上回っていることを知った。
同時にこのときに判明したのだが、自分は暗くて周りが見えないと思っていたが、どうやら物理的に何もないために、真っ暗だと感じていたようだ。その証拠に、暗闇の中に二人の子供がはっきりと浮かんで見えた。
二人はまだ気づいていない。どうやら喧嘩をしているようだ。二人とも背を向けているが、女の子のようすは挑発的で、男の子は明らかに怯えている。
すると、自分の口が開くのを感じた。よだれをだらだら流し、大口を開けている。
おい、まさか。
すぐ目の前の男の子に、雨のようによだれが降り注ぐ。女の子が振り返った。自分の口が、男の子を頭からかぶりつく。咀嚼する。嚥下する。
けたたましい悲鳴が響き渡った。女の子が、甲高い叫びを上げて、一目散に逃げていく。
とんでもない悪夢だ。早く覚めてくれ。そう願うも、今度は、どしんどしんと地響きをたてて自分は追う。女の子の姿は、はっきりと見えていた。こいつは、追いかけっこそのものを楽しんでいるようで、わざと手加減して走っている。獲物をいたぶるのが趣味なのだ。虫唾が走る。
やがて、一筋の光が見えてきた。洞窟の出口だ。女の子はさらにスピードを上げて、必死にその光にすがりつくように、真っ直ぐに向かっていく。
そこで、自分の目が焼けたように痛んだ。光に焼かれたのだ、と気づいたときには、目の前が真っ白になって、女の子の姿は見えなくなっていた。彼女を追っていたこいつは、よろよろと後ずさりし、一際大きく地を揺るがせ、尻もちをついた。
何もかも真っ白だ。光の塊だ。あまりの眩しさに頭痛がする。尻で後退するが、手が地面を滑り、仰向けに倒れた。両手で目を覆う。
早く目よ覚めろ。このままでは死んでしまう。
ごろんとうつ伏せになり、腕を目に押し付けた。口からは苦悶の声が漏れている。全身震えながら這いつくばり、出口から遠ざかろうとする。こんな小さな光で、ここまでのダメージを負うとは思わなかった。
早く、早く目覚めろ。頭が痛くてかなわない。
そうだ、なぜこんなにも痛いのだ。これは夢のはずだ。痛みなど感じないはずだ。痛み止め、痛み止めを飲まなければ……
ひどい頭痛で目を覚ますと、まだ部屋は真っ暗だった。ゆっくりと起き上がり、薬を飲む。効いてくるまで痛いままだが、耐えるしかない。
何だか変な夢を見た気がする。男の子を捕食する夢など、いくら痛みに浮かされていても今まで見たことがない。
ため息をついて、再び布団に戻る。カーテンの隙間から、月の光が一筋、部屋に漏れていた。
11/6/2023, 3:43:59 PM