「図書室で寝たら風邪ひくって言ったのは先輩なんだけどな。」
授業終わりの放課後。次回のテスト範囲で分からないとこを教えてもらおうと訪れた図書室で、目当ての人物はペンを持ったまま眠っていた。
一応、紙にインクが滲まぬように、先輩が持っていた愛用の万年筆を手から離して机に置いておく。ついでにかけたままのサングラスも横に取って置いた。
疲れてるのかな。
よく見ると目元に大きな隈があるし肌も荒れている。
先日も様子がおかしかったし、明らかに顔色が悪い先輩に大きなため息が出た。
ただ勉強に追われて寝てないだけなのか、プレッシャーから寝れていないのか。はたまた雨に濡れたせいなのか。どれにせよ体調が悪そうな先輩を放っておくことはできない。
目が覚めるまで待っていよう、とも思ったが図書室は夏のせいか肌寒くなっていた。その証拠に普段ワイシャツ姿の先輩が珍しくセーターを着ている。
「起こす…のは、嫌だな。」
かといって私だけで運ぶのは無理。片割れの兄でも呼ぼうか。
片腕を枕にして眉間に皺を寄せたまま眠る先輩の額をグリグリとひとさし指で押してみる。眠っている時くらい、顰めっ面はやめて欲しいな。
少しの間伸ばすように押し続けていると、先輩は小さく唸り、やっと眉間に皺を無くした。
「よく見るとお兄さんにソックリだな…。」
本人に言えばドスの効いた声で誰がなんだって?と聞かれるだろうから言わないが。目元や鼻の形、口元もじっくり見ればこの間偶然出会ったお兄さんに似ている。流石兄弟というべきか。
私と兄はあんまり似ていないからな〜。
ふわふわと手触りの良い猫のような髪質に、先輩は天パなのかなと考える。クルクルとした髪をひとつまみして伸ばし、放してみると元の状態に戻った。
何度かやっていると段々面白くなってきて、先輩の頬をつまんでみたり、髪の毛に指を通してみたりと遊び始める。
「先輩、早く起きないと風邪引きますよ〜。」
うぅんと唸る先輩を小さく笑ってから、私は図書室の本を開いて活字を追うことにした。
体調が悪そうな先輩を放っておくのか。と普通の人が見たら言うかもしれないが、きっとこの人はココが一番落ち着く場所なんだと思う。額の熱はなく、体温もいつもと同じくらい正常。
なら原因は寝不足しかない。先輩はテストが近くなるとよく目元に隈を作るから原因はソレだろう。
それに、運ぶために兄を呼びに行くのも面倒くさかった。呼びに行くとこまではいいが、後々質問攻めにあう可能性を考えると憂鬱だ。
「先輩はそこまで頑張って何になりたいんだか。」
先輩の努力は人並み以上で、この学校の誰よりもすごいとは思う。けれどこうやって自分を疎かにするのは理解ができなかった。
もっと自分を大切にして欲しいし、自分はすごい人だということを認めて欲しい。自尊心がないよりは、高い方が生きるのに幾分かマシだろう。
「先輩が壊れるとこは見たくないな。」
独り言を呟いてから、再び活字に目を通す。
先輩の目が覚めるまでにこの本は読み終えてしまおう。きっとちょうど良い時間帯になるはずだし、隣で様子を伺えるのは安心する。
そして先輩が目を覚ましたら、労いの一言でもかけてあげようか。
想像しながら笑みを零す。
先輩が先輩のままであってくれればいいな。
ふとよぎった昔の友人の綺麗な笑みに自分の中の弱い部分が音を鳴らした気がした。
【目が覚めるまでに】
8/3/2023, 3:08:57 PM