ハートのかき方を練習していた。
この経験の有無は人によって様々だと思われるが、 私は一生懸命おしゃれなハートの形を模索していた日のことを覚えている。
自分のものを周りと見比べると、毎度のように自分が劣っていると感じていた。精一杯選んだ筆箱も、何冊もの中から決めたノートも、雑誌に載っているのを見て買った服も、学校に持っていくといつも決まって恥ずかしくなった。私はなんであっちを選ばなかったんだろう、お母さんの顔色を伺ったばかりに、もうこんなの持っていられない。私のものは全部まちがいで、お友達のものが正解に思えた。
ハートの形もそうだった。
授業中に回ってくる手紙のハートマークには流行があった。私のハートマークはお母さんに習ったもので、ちょうどこのアプリのそれと似ている。優しいなだらかな形を母は好んでいた。子どもが絵を描けばどこかにハートが紛れ込むもので、歪なハートマークは皆それぞれ形が違い、幼心に興味深かったものだ。そんなハートマークに流行が現れて、瞬く間に皆はお揃いのハートを描くようになった。少し細長い、ラフな筆致のそれこそが最も洗練されたハートマークであった。
そういうムーブメントにいつも乗り遅れていた。
疎い私が気付く頃には、やってないのは自分だけ。
そういうことがいくつもあった。
学年が上がってもあった。何度もあった。
私は慌ててハートマークを練習する。
丸いハートも流行った。ぷっくりとした表現も描き入れた。影の付け方。プリクラ機の場合。皆と同じハートが描けるように。
あれから随分経って、最近私は1人の友人と会うたびに手紙を交換している。ほんの思い付きで、文末にハートマークを添えた。描いたのは、母に教わった優しいハートの形だった。
私は未だに絵文字のハートマークをつけるのは恥ずかしいのか、何色のハートならおしゃれなのか、ハートの種類はどれが可愛いのか、そういうことを逐一気にしている。自信がないので、相手から送られるものと同じハートを同じ用法で返すというのが常態化している。そんな私のハートマーク。
無意識のうちに表れた、久しく忘れていた曲線。
素朴な形かもしれない。
それでも愛しい。
私らしいハートだと、手紙の相手に感じてもらえたら嬉しいな。
3/27/2024, 2:49:17 PM