白瀬深雪

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「君は今」

『知らぬが仏』
なんてよく耳にするが、年を重ねるごとにそういった言葉が身に染みる。



小学生の時によく公園で遊んだ友人が、中学では不登校になっていたり
中学生の時に教室を沸かせていたムードメーカーが、高校生になりパパ活で荒稼ぎしていたり
高校生の時によく放課後に一緒に買い食いをしていた部活の同期が、就職して職場の男性を食い荒らして兄弟にしていたり



いやでも耳に入る噂たち。
自分の中で揺るぎない輝きの思い出たちが、虫に食い荒らされ穴ぼこになっていくような、そんな気分になる



環境の変化は、その人の人格を大いに変えてしまう。
むしろ、私が関わり合った人間たちは、そういった環境の変化の中で形成された人格であり、そこからさらに変わっていくのは自然なことであることに間違いはないのだろう。



20代というものは、お酒が飲める。タバコが吸える。そんな浅はかなラベルの下に、子供な自分と決別しなければいけないと言う難問が隠されているらしい。



綺麗な思い出の中に閉じ込めている。
綺麗な思い出の中に閉じ込められている。



その自覚を持って変わりゆく周囲と、変われない自己の狭間で、幾度も安堵と失望を繰り返すのだろう。
そして、きっとどこかで「私」の話を聞いて失望している人もいるのだろう。
失望をしたくないのであれば、させたくなければ、
思い出の中にいる人間を思い出から引っ張り出すべきではない。そして今を知るべきではないのだ。
知らぬが仏である。



そして、人から伝え聞かなければ「今」を知ることができないような人間なぞ、今の「私」には必要がないのだろう。

2/26/2024, 2:48:44 PM